安野光雅という絵本作家のエッセイに「空想工房」というのがある。その中に、アイデアを凝らした年賀状を二十数枚並べた一節があって、ひとつひとつに覚え書きの文章が添えられていた。毎年変わり映えのしない年賀状書きにうんざりしていた私は、年賀状だからといって、おめでとうと書く必要はないのかと、目から鱗の落ちる思いがした。早速安野光雅に負けじと、アイデアを捻り出して年賀状を作った。五、六年は続けただろうか。しかしそう簡単に毎年これだというアイデアが生まれてくるはずがない。
そんなとき、私は一つのアイデアを思い付いた。題名に、十二支の名前が入った小説を選んで、その中から新年にふさわしい一節を抜粋して年賀状にしたらどうかというものだった。最後に、(………より)と書いて、その中に十二支が入るという趣向だ。
妻に話すと、「アイデアは面白いけど、そんな題名の小説が簡単に見つかるかしら」と言う。「古今東西、小説なんかごまんとあるんやから、見つかるのにきまってるやろ」と私。なにしろ、一つのアイデアで十二年いけるのだから、これを捨てる手はない。
早速その年の年賀状から実行した。それが十二年前の話である。その年は「未」で、村上春樹の「羊をめぐる冒険」にした。既に家にあったので、もう一度ざっと読み直し、ふさわしいと思われる一節を、印刷した。
次の「申」には、太宰治の「猿面冠者」を用意していたが、間の悪いことに祖母が死んだため年賀状を出すことができなかった。始めてすぐの中断で、こちらの意図が伝わるか心許なかったが、取り敢えず続けることにした。
ところが、次の「酉」が難関だった。「鳥」ならばいくらでもあったが、なんのトリかわからない「鳥」よりも、ここはどうしても「鶏」でなければならない。セキセイインコやジュウシマツが年賀状の図柄にならないのと同じように、「鳥」はまずいのである。
といって、思い付く小説がない。当時はまだインターネットが一般に使われるようにはなっておらず、クリックひとつで本の検索ができる時代ではなかった。その存在すらも知らなかった。そこで、書店や図書館に足を運んで、片っ端から探してみたが、「鶏」の文字は見当たらなかった。著者名でもいいことにするかとも思ったが、いやいやそんなことをしたらアイデアが泣くと、源氏鶏太の本を棚に返したりした。
さて、どうするか。ないとなると、アイデアはここでストップする。続けるためには、答えは一つしかない。自分で作るのである。つまりはでっち上げ。いかにもそんな作品が存在するかのように、一節だけを書いたらいいのである。日本の小説ではまずいので、海外の小説にし、題名はずばり「鶏」、著者名をネルソン・フェイクとかいう名前にし、翻訳者名を千藤三津子にした。フェイク(偽物)であり、千三つというわけだ。どういう文章を書いたか、現物が今手許にないので忘れたが、新年にふさわしいような場面をでっち上げたと思う。
しかし、出し終わってから、後悔した。もしでっち上げた文面に興味を引かれて、その作品を読んでみようと探しても、どこにもない。それで私の方に問い合わせてきたら、ごめんなさいと謝るしかないのである。あるいは、その一節を押し広げて、本当に小説を作ってしまうか。
幸いなことに(残念なことに?)問い合わせてきた人は、いなかった。
「戌」は、吉田知子の「犬の幸福」や滝沢馬琴の「南総里見八犬伝」を考えたが、妻の提案でチェーホフの「犬を連れた奥さん」にした。
次は「亥」。この「猪」も難関だった。この頃インターネットを始めたばかりで、本の検索サイトがあったので使ってみたが、これといった作品がなかった。またでっち上げかと半分そちらの方に傾きかけたが、いやいやもう二度とでっち上げはやめておこうと考え直し、えいという気持で、検索にかかった一冊の本を注文した。シンシア・ライラントの「パパのオウム」である。その中に「イノシシがいるよ」という短編がある。初めて名前を聞く作家だったが、この本はなかなかよかった。ほっとするような短編が並んでいる。ちなみに、この本はインターネットで注文した最初の本ということになる。
「子」は、小谷剛の「鼠の天寿」に決めていた。同人誌「作家」時代の師に敬意を表するという意味で。
「丑」は井上靖の「闘牛」。これも家にあった本で、すんなり決まった。
次の「寅」。これも苦労した部類である。小谷剛に、そのものずばりの「虎」という作品があるが、さすがに二回も取り上げるのは躊躇した。そこでまたまたインターネットの出番になる。「亥」で偶然にもいい本に当たったので、今度もと思ったが、大外れだった。ジョン・トレンヘイルの「欲望の虎」というもので、スパイ小説だった。しかも長い。よほど別の本を探そうかと思ったが、時間がなく、仕方なく使えそうなところを拾う。
「卯」は結構迷った。金井美恵子の「兎」にするか、灰谷健次郎の「兎の眼」にするか、アップダイクのウサギシリーズにするか。結局妻が読んでみたいということで、ジョン・アップダイクの「さようならウサギ」に決定する。二分冊の長編で、一節を探すのに苦労した。こまごまとした日常を書くだけで、よくこれだけの長さになるなあと感心する。読み出したら、結構面白かったが。
「辰」これもないのである。司馬遼太郎の「竜馬がゆく」は、馬という字も入っているので、駄目。松谷みよ子の「龍の子太郎」という手もあったが、一応大人を対象とした作品を選びたかったので、これもパス。インターネットで検索しても、これといった作品がない。そうなると思い付くのは、三田誠広の「龍をみたか」ぐらいしかない。しかしこれは本にはなっていないと私は思っていた。朝日新聞に連載されたが、単行本にならなかった珍しい作品であると思い込んでいた。(ずっと後でわかったのだが、実際は朝日新聞社から出ていて、角川文庫にも入っている。)
さて、どうするか。というわけで、大阪府立中之島図書館に行く。高校の時以来で、三十年振りくらいだった。中の雰囲気は当時とほとんど変わっておらず、しばし感慨に耽った。
インターネットで調べておいた一九七八年の朝日新聞縮刷版を棚から引っ張り出して、読み始めた。使えそうな一節があれば、そこで読むのをやめるつもりだったが、ないのである。あれっという気持で結局百数十回の連載すべてを読み、やっと一ヶ所だけ見つけた。本当にほっとした。午前十時に入って、見つけたのが午後三時である。単行本にならなかったのも、むべなるかなという気持になる(三田誠広氏よ、失礼!)。その部分をコピーしてもらい、一仕事終えた気分で、意気揚々と図書館を後にした。
「巳」は、中上健次の「蛇淫」か川上弘美の「蛇を踏む」にしようと決めて、まず「蛇淫」を読む。しかしどうにもぴったりと来る部分がない。そこで近くの図書館に行って、川上弘美の本を借りようとしたが、貸し出し中だった。買うしかないのかと思いながら、念のためにと図書館にある端末機で検索してみたら、「蛇を踏む」が「文学1997」に入っているではないか。早速棚に行くと、ありました。それを借り出して、何とか使えそうな一節を見つけた。
すぐに返すのももったいないので、他の作品も読んでみようと目次を見ると、何と稲葉真弓の名前があった。あらあら、懐かしい。彼女とは「作家」に同時期に作品を発表しており、年齢も近かった。彼女はその当時すでに婦人公論新人賞や作品賞を受賞しており、いささか別格の感があった。きらきらした詩的文体で筆力があったが、私はどうにもその文章が好きにはなれなかった。あれから二十年余りたっている。どれどれ今はどういう作品を書いているのか、私は彼女の作品を読み始めた。
「漂う箱」と題されたその作品は、年老いて死にかけている飼い猫のために、棺桶代わりになるような箱を探して廻るというエッセイ風の小説である。私は読み終えて、ふうっと溜息をついた。文章が格段によくなっているのである。詩的文体のよさを残しながら、落ち着いたいい文章になっている。そして内容に文体がうまく合っていて、いい短編に仕上がっているのである。私は我が身を振り返って、愕然とした。二十年間の彼女の成長に比べ、自分は同じ所をぐるぐる回っていただけではないか。
私はむらむらと対抗心を燃やし、初めてエッセイ風小説に挑戦してみた。「せる」五十七号に書いた「ゴン」がそれである。あちらが猫なら、こちらは犬というわけである。しかし、どうもこちらは成長していないようである。
さて、いよいよ最後の「午」になった。「馬」は題名に取り入れやすいのか、いろいろな作品がある。五木寛之「蒼ざめた馬を見よ」、小沼丹「埴輪の馬」、司馬遼太郎「馬上少年過ぐ」、筒井康隆「馬の首風雲録」、埴谷雄高「闇のなかの黒い馬」、三島由紀夫「奔馬」、安岡章太郎「サアカスの馬」などなど。その中から安岡章太郎を選ぶ。
いやいや肝腎な作品が抜けておりました。わが「せる」同人の奥野忠昭氏に、「午後にだって馬は走る」というのがありました。しかもこの題名には「午」という文字も入っているではありませんか。まさに掉尾を飾るにふさわしい作品といえましょう。
なぜそれにしなかったって? 申し訳ありません。実は、奥野氏の作品に気づいたのは、印刷し終わった後だったのです。「どうしてもっと早く気づかなかったの」と妻は責めましたが、「馬」は多過ぎて、他に何かないかと考える必要がなかったからと言い訳しておきます。
(追記 去年の正月に、十数年振りに「作家」の旧同人に会う機会があった。たまたま年賀状の話になり、その時彼が「津木林の年賀状は簡単でいいよな。その辺にある作品から適当に抜粋してきて印刷するだけだから」と言った。私が、いやいやそんなに簡単ではないと十二支の話をすると、「全然気づかなかった」と彼は驚いた。私は彼の返事に驚いた。「気が付くように、その文字だけ色を変えるとかすればよかったのに」と彼は言ったが、まさか続けて受け取っていて気づかない人間がいるとは思ってもみなかったので、そんなことは思いもしなかった。その時の驚きが、この稿を書かせるきっかけとなった。)
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