漬物屋のカイ   西村 郁子


  二〇〇二年春、天満卸売市場が大掛かりな改修工事を行うらしい。らしいというのは、着工の予定日が何回も変更になっているからだ。
 だが、今回はいつもと少し違う。なぜなら、市場の南側にある延原倉庫が仮設の市場として借用されるため、フェンスが取り壊され、地ならしのブルドーザーがうなりをあげているからだ。それに、後継者の居ない高齢の店主のなかには、廃業を決めたり、店をすでに閉めてしまっている人も何人かいる。
 戦後の闇市から商いを始めた人も多く居るこの市場の前身は今のマルビル界隈で店だしをしていたのだという。初代は隠居していて、二代目も老人と書かれた健康保険証を持つ身になっている。三代目にバトンを渡している店は僅かだ。なにせ、ほとんどの店は、福島の中央市場から仕入れをして、天満市場で店をあけるのだから、午前二時ごろに起きて仕事をしている。二十代、三十代の三代目にとっては、継ぐのに二の足を踏むのも無理のないことで、ここ十年ぐらいは消費も減り、夫婦共働きでちょうどくらいの忙しさになっていて、子供たちは別に就職していることも大きな理由と言えるだろう。
 去年八月のこと、漬物屋のおかみさんから猫を貰ってくれないかと持ちかけられた。作業用に所有している家に猫を飼っているのだが、年内で店を閉めることにしたので飼えなくなるのだ。住居にはプードル犬とヒマラヤン種の洋猫を飼っているため無理らしい。
 私は、漬物屋夫婦を勝手な人だと非難する気持は毛頭ない。なぜなら、彼らも一時的措置としてその猫を作業場に置いて二年にもなろうとしていたのだから。
 カイの初代飼い主は、天満市場の中でも一番大きな乾物屋だった。生後間もない子猫を拾って店の中で飼っていた。夜、商品を荒らすネズミを駆除する目的のために。子猫を雄と勘違いした飼い主がカイと名づけた。三毛猫の雄はまずいない、というのは猫好きならずとも知られたことなのに、果たして尻尾を引っ張りあげて毛玉のような小さい物があったのだろうか。
 カイは数ヶ月間任務を忠実に遂行して、ある日失踪してしまった。情の移った飼い主は悲しんであちこち探し回った。ところが、失踪からほどなく乾物屋は不渡りを出して倒産してしまった。得意先の料理人たちの要望に応えて、和、洋、中、エスニックにいたるまで特殊な調味料を取り揃え、店内は通路にまで商品が溢れ返っていた。店が仕入れる場合はケース単位なのに、それを小売していたのだ。私はそこでメタルの味付塩コショウを買っていた。1キロ千円の商品で、月に一、二回しか立ち寄らなかった。倒産後、別の乾物店で同じ商品を頼むと、動かない商品だからケースで買ってくれと言われた。
 それからさらに数ヵ月後、八百屋の冷蔵庫の下に猫が隠れていると騒動になった。有志が救出に乗り出したが怖がって出ようとしない。隙間から覗いた誰かがカイに似ていると言い出し、ネゴシエーターとして乾物屋の元従業員が呼ばれた。彼女は暗闇の中でか弱く鳴く声を聞き、間違いないと言った。そして、彼女の呼び声にカイは姿を現した。体は二周り大きくなっていたが、長い放浪のせいですっかりやさぐれてしまっていた。カイ救出にかかわった人たちは、皆、猫好きばかりだったが、すでに家には何匹も猫を飼っていた。そういう訳で漬物屋の作業場が一時的保管所になったのだった。店主もおかみさんも貰い手をみつけると言って頑張っていたが、そのうち、カイを置いておくことに不都合もないことから飼ってやっても良いと思うようになったみたいだ。ここでもカイは糠を狙うネズミに脅威をみせつけていた。
 二代目の飼い主を得たカイにも制約があった。食べ物を扱う上でカイにはリードを取り付けたのだ。私は毎日の買い物の締めくくりにカイのいる作業所を覗きに行った。トイレ、水入れ、餌入れ、爪とぎ、猫ちぐらがワンルームマンションのレイアウトよろしくスチール棚の下段まわりに配置され、大抵はリードが柱に絡まって、さらに短い行動半径になっていた。
 私があがりかまちに腰をおろすと、チリンと鈴を鳴らして膝に上がる。人恋しかったのか喉をゴロゴロいわせて甘えてくる。十秒も抱かせてくれない私の家の猫に比べてなんて可愛いの、と抱きしめてやる。不憫さもあってカイを訪ねることは一日も欠かさなかった。漬物屋の店主が冷遇しているといっているのではない。いつもトイレは掃除してあるし、少し体調が悪いとすぐ病院に連れて行っている。私はリードで制約されていることが、カイには不遇ではないのかと、私の価値観で思っているだけなのだ。カイがリードに文句を言ったりしているのをきいたことなどないのだが。
 私がカイを膝の上にのせて遊んでいると、よく店主がやって来る。塩を運んだり、きゅうりを塩もみしたり、用件はいろいろだが、いつも必ず「ええなあカイちゃん、今度お父さんと代わってくれや」と言う。『いやいや』と毎度心の中で思うのは私だ。カイは店主をちらっと見上げたり、見なかったり。
 さて、カイを下におろすと私はいよいよ帰る。そして、仕事に突入するぞという号砲にもなる。私の気分は大抵前夜の出来高に大きく左右される。毎日天満市場に仕入れに来て、決まった店で決まった食材を買う。もし、前夜が暇なら、仕入れも減らす。べきなのだが、それが難しい。肉屋には五十代の女性が三人、等間隔にショウケースの前に立っていて、私は彼女らのひとりに、これとこれとこれを一キロずつくださいという注文の仕方をする。これとこれの日もあれば、これだけでいい日もあるのだが、これはいいのか、とすかさず突っ込まれる。ああ、じゃあ、それもください、になるのだ。
 豆腐を自前で作っている店ではそばを買っている。店さきには八十歳になる初代のおかみさんが現役を守っていて、対面していると数を減らしづらい。たまに意を決して減量することもある。「ひまやったんか」鋭く一突きされる。やはり、やりにくい。スーパーならこんな葛藤はしなくてすむのにと思うこともある。
 ずっと前、そのおかみさんに戦後間もないころの話を聞いたことがある。豆腐の原料の大豆を北海道まで仕入れに行ったのだそうだ。代金はブローカーに先払いして、夫とふたりして汽車で行ってみると、そんな話はないと言われ、自分たちが詐欺に遭ったことを初めて知ったと言うのだ。当時の金で七十万だったか。その話の最後に、それでもこの商売で儲かったんや、と結ばれた。
 もうひとつ話がある。塩干物の女主人だ。彼女は二代目である。初代はリンゴから商売を起こしたそうだが、彼女は小学生の時から父を手伝い、学校から帰ると、母親の用意したふかし芋をくわえて走って店に行ったのだそうだ。そうして、塩干屋に店がえしてからも一日も休むことなく店に出てきたのだ。ある時期、家の箪笥の抽斗にはお札がぎっしり詰まっていたことがあったと言っていた。
 今度の改装のあと、何軒の店が戻ってくるのだろう。賃料も値上がりするだろうし、消費が減る一方では増収など望めないだろう。大型スーパーがのり込んできたら個人商店に勝ち目はあるだろうか。時代の盛衰は当たり前のこと、自然淘汰にも等しいかもしれない。彼、彼女たちが市場から消え、そこで買い物をしていた人も消えると、この場所は記憶を持たない所になってしまうのかもしれない。
 カイは、三代目飼い主の私に引き取られ、マンション猫となった。リードと首輪をはずし自由にさせている。高いところに登ったり、もう一匹の猫と全力疾走で部屋から部屋へ追いかけっこしている姿をみると、目を細めてしまう。私は猫ばかだ。ただ、いじらしくて抱き上げようとしても、十秒も抱かせてくれなくなったのは納得できない。  



もどる