編集後記

インターネットの検索ブラウザーで「曇り蝉」を検索したら、

・曇リ蝉に該当するページが見つかりませんでした。
・キーワードに誤字、脱字がないか確認して下さい。
・キーワードの数を少なくしてみて下さい。
・違うキーワードを使ってみて下さい。

というメッセージが戻ってきました。
検索のキーワードを「蝉」に変更して再検索したら、該当するサイトは約53,100件となり、その第1番目には、
〈横笛の歴史……須須神社「蝉折れ」の笛.能登半島の最北端、珠洲市に創建二千年という歴史のある須須神社があります。〉が現れました。

さらに絞込み検索で「曇」を追加したら、53,100件が3,020件となり、表示された最初の二十件の中に次の一節がありました。
〈index 俳句…… 閑さや岩にしみ入る蝉の声(芭蕉)、
むだ曇や むだ山作る また作る (小林一茶)……〉

「芭蕉」と「小林一茶」にリンクが貼られていたので、「芭蕉」をクリックすると、「名句歳時記」というサイトへジャンプしました。つ

〈松尾芭蕉 まつおばしょう(1644〜1694)
「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」   季語=蝉(夏)

この句を知らない人はいないでしょう。まったく物音のしない、静かな山の中です。蝉の声だけが、苔むす岩の中までしみ透るように響き、それがより一層、静けさを際立たせます。心が澄み渡っていくようです。元禄2年、出羽(山形県)の立石寺(りゅうしゃくじ=俗称山寺)での作品です。〉

次に「季語」で検索を行い、「蝉&曇」でいくつものサイトをネットサーフしてみたのですが、「曇り蝉」という固有名詞で使用されている事例は、ひとつも見つかりませんでした。「曇り蝉」はあかねさんのオリジナルであることは知っていたのですが、どうしてもその言葉に俳句の季語的な匂いを感じたからです。「曇り蝉」という題名をもつ作品は、今回「せる」に掲載されたものを含めて、少なくとも五作は存在していますが、それらのひとつひとつは、リミックスというよりは、「曇り蝉」という季語を題目とした連句のような気がしたからかもしれません。
「曇り」と「蝉」を組み合わせた「曇り蝉」という言葉が、本当の意味でのオリジナリティをもつためには、――例えば「空蝉」という言葉が、ある種のイメージ、薄倖の女性とか、人生の儚さとかを喚起させるように――この言葉に対する作者の個人的な思い入れが強ければ強いほど、作者は読者には共有すべき何の情報も経験もないのだという事実を再認識すべきではないでしょうか。つまり、今回の「せる」バージョンも最終版ではないのかもしれませんね……

芭蕉の句の解説文に〈まったく物音のしない、静かな山の中〉という記述がありました。これはあきらかに矛盾しています。出羽の山奥にある立石寺は、人里はなれた森閑とした環境下にあることに間違いはないのでしょうが、決して芭蕉は〈まったく物音〉がないと詠んではいません。それどころか「蝉」の鳴き声が、うるさいくらいに充満しているのです。
この句を素直に読めば、「山寺の境内にはうるさいくらいに蝉がないている。仮にその鳴き声が、乾いた砂地に水がしみ込むように、苔むした岩の中にしみ透っていってしまえば、きっとそこには荘厳な静寂が横たわっているのであろう。いや、すでに私の心の中には、その『閑かさ』が確実に存在している。」となるのでしょうか。
しかし、これは天邪鬼の心で、冷静に分析した時にわかることであって、素直な心で「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」に触れたときには、たぶん誰もが解説のように「閑かさや」という発句のもつ言霊の力で、瞬時に「無音の世界」に引きずり込まれてしまうのでしょう。普段何気なく使っている言葉が、組み合わせ次第で日常を超えた力を発する。そこが芭蕉の芭蕉たる所以なのかもしれません。

「ゴン吼える家族合わせや曇り蝉」

「せる」五十七号掲載の三作の題名を並べたら、俳句もどきの十七文字となりましたが、タイプの異なるこれらの三作が、どんな世界に私たちを引きずり込んでくれるかは、読んでからのお楽しみということで。
(AI) 


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