編集後記

 二〇二五年四月に始まった大阪・関西万国博覧会は十月十三日に終わりを迎えようとしている。その一週間前、イタリア館の至宝とうたわれている美術品を一目見たい、絶対見たいとの思いを胸に、私は十二時入場のチケットを携え一人夢洲駅に降り立った。戦いの始まりだ。

  三十度を超える青空の下、十一時半に入場ゲートに並ぶ。暑い、人が多い、進まない。やっと場内に入れたものの目的地は正反対の位置にある。人混みをすり抜けてイタリア館に到着。大屋根リングの下に秩序を持って並んでいる人たちを見て震え慄く。入館待ちの列はどこまで続いてるの⁈ さ迷いながらも最後尾の看板見っけ! 看板係の前に入り込む。係員がけだるそうに「八時間待ちです」と言う。この時、十二時四十分。 まずは携帯イスを出して座る。お茶を飲む。家から持ってきたおにぎりを食べる。後ろの人たちと「何回目?」「イタリア館を見るためだけに来た」「どのくらい待つかな?」とよもやま話。列はちょっとずつ進んでいく。空飛ぶ車が飛んでいる。待ち時間のお供として選んだⅯさん著のヤケヤマをひたすら読む。後ろの人に断って自販機へ水を買いに行く。またおにぎりを食べる。次第に陽が傾いていく。後ろの人と前回の万博(ギリ生まれてない)の話をする。列はちょっとずつ進んでいく。ベルギー館で売られているビールとフライドポテトが美味しそう。塩飴をなめる。ヤケヤマを読む。陽が沈む。花火が上がる。後ろの人に断ってトイレに行く。ドローンショーが見える。最後のおにぎりを食べる。いよいよ道路を挟んでイタリア館が真正面に見えるところまで進んできた。あと少し。暗い夜空に丸い月が浮かんで綺麗。係員に誘導されてイタリア館の入口へ。私たちは勝利の歓声を上げながら中へ入る。この時、二十時十分!

  さて、展示されていたカラヴァッジョのキリストの埋葬に絡めて編集後記を書く予定だったが、諸所の都合上カラヴァッジョは割愛していきなり本題へ行こう。

  今回の三作品は、切り取り方は違えど死者が描かれている。一個人の死、知人の死、知らない人の死。人々の死が地層のように積み重なって、その上に生きている人たちはいる。生者は死者をどう受け取るのか。その死を自分の中にどう落とし込んで、生き続けていくのか。語られた物語に本当の終わりはまだない。

  このたび、せるは130号を迎えた。五十年近くに渡り書き手たちが一作ずつ一冊ずつ積み重ねてきた軌跡に惜しみない称賛を贈りたい。そして、それを礎に私たちもまた一作ずつ書き続けていきたい。 (AT)