今年も異常気象で、春が短い。寒さの厳しかった冬から暑い夏へとあわただしく移行している。
日差しの穏やかな春の日に書店に出かけて行った。近年、数が減少して徒歩圏内には店舗がない。地下鉄に乗車して都心の大型書店まで行かなくてはならない。
大型書店でも在庫が少なく、予約注文しなければ手に入らないことも多くなっている。紙の本の発行部数が減少しているようだ。本を手にとって読む人が少なくなっているのが原因かもしれない。 時代の現象のひとつである。
昭和は遠くなってしまった。テレビドラマにも取りあげられていたが、不適切なことも多くあったと思うが、活気のある面白い時代でもあった。
戦後、復興した木造住宅や団地に住み、まだ瓦礫の残る広場で遊んだことが懐かしい。同年代の友達と鬼ごっこやチャンバラを楽しんだ。駄菓子屋でラムネを飲んだり、安価なアメ玉やせんべい、ガムなどを買ったことが思い出として残っている。町に小さな書店もあった。親にねだって、付録でふくらんだ雑誌を買ってもらったことは嬉しい記憶として刻み込まれている。
ノスタルジーに浸るのは老いた証拠かもしれない。
都心の大型書店に出向いた日の帰路は再び地下鉄に乗った。車内は会社員や学生など、乗客でかなり込みあっていた。立ったまま丸い吊り輪を手にしていると、目の前の座席から若い男の人が立ち上がって、声をかけてきた。座席を譲ってくれるというのである。 一瞬、言葉に詰まった。あっとか言って軽く頭を下げてから座席に腰を降ろした。
ショックであった。今まで座席を譲ることはあっても譲られたことはなかった。初めての経験である。もう若くはない、老人だと認定されている。団塊の世代前後は当然のごとく老人の部類に入るのである。
改めて自分自身について考えれば確かに皮膚の張りもなくなって、姿勢も悪くなっている。老いのなかにあることは確かである。
しかし内面、つまり精神のありようまでもが老人になってしまうのは避けたい。かなりの高齢者は認知症になるらしい。拒否して、できればまだ踏みとどまるつもりである。
同人誌せるの事務局のひとりとして、これまで事務担当にかかわってきた。昨年末に退任させていただいて、せるは新体制に移行した。
せるはこれからも新しく力強く前進する。今号は意欲ある書き手の四作品の掲載である。 (尼)