ロシアがウクライナに侵攻する直前、イギリスの戦略研究所がその兵力差から、侵攻すれば五日で片がつくだろうと予測していた。しかし実際は百日経っても戦闘は続いていて終わりそうな気配はない。ウクライナ軍の自国の領土を守るという士気の高さ、NATO各国による軍事支援等が相まって予測を覆している。
ただ、第二次大戦のドイツと対峙した時とは違って、アメリカは早々に派兵はしないと決めている。派兵をすると第三次世界大戦に発展し、核兵器の撃ち合いになって世界が滅びることを恐れているからだろう。
もし核兵器がなければアメリカは直ちに参戦し、ヒトラーを滅ぼしたようにプーチンを滅ぼしたかもしれない。ということは、世界を滅ぼすだけの核兵器を持っていることがウクライナに侵攻しようとするプーチンの背中を押した可能性がある。
これは大いなる矛盾と言えなくもない。核抑止力によって大国同士の戦争が難しくなった反面、小国への侵略のハードルが下がったのなら、核抑止力とは一体何なのか。中国がアメリカやロシアと同じ規模の核兵器を持つに至ったら、台湾侵攻も現実味を帯びてくるかもしれない。核兵器は使えない兵器であるということに胡坐をかいて、われわれは核戦争の恐怖を遠ざけていた節があるが、ここへ来てそれを呼び戻さなければならないとしたら、何をか言わんやである。
地球温暖化やパンデミック等、地球規模の問題に全世界が協力して取り組まなければならない時に、核戦争の心配などしたくもない。核廃絶に向かうのが論理的に考えて最も妥当な選択だろう。
先日、私の担当している文章講座で、プーチンを「悪魔」と皮肉り、聖ジャベリン(アメリカが供与した対戦車ミサイルのミーム)に悪魔を滅ぼしてくれと願う文章が出てきた。タイムリーな話題で、一読目はニヤッとしたが、二読目には悪魔という言葉にうーんと立ち止まってしまった。確かにプーチンさえいなければ戦争が終わるのではという気持ちは自分の中にもあって、分からないではないのだが、そんなふうに悪魔というレッテルを貼ってしまったら、見えるものも見えなくなってしまうのではないかと思ったのだ。
プーチンは自分一人の力であのような独裁者になったのではない。ヒトラーと同様に国民の支持があったからだ。ソ連崩壊による経済的ダメージを回復してくれる強い指導者を求めた結果が今に至っている。民主主義は時と場合によっては独裁者を生み出す脆いシステムであることは自覚しておく必要があるだろう。
今号も新しい会員による作品が掲載された。清新な風が吹くことを喜ばしく思う。(T)