今年の夏は異常に暑かった。猛暑という言葉がぴったりすると思った。昼間の暑さも厳しいものがあったが、夜の暑さも中途半端なものではなかった。汗がタラタラ出て、寝苦しいこと、この上ない。まるで布団の上でガマガエルが脂汗を流しているようであった。
こうなると、やはり海が恋しい。
スキューバダイビングで海に潜りたいと思った。しかし残念ながら今年は海に行くことができなかった。
これまで二十年以上、あちこちの海にダイビングに行った。国内では沖縄が多かったし、海外ではグアム、サイパン、パラオなどの海に潜った。とりわけ多かったのは、フィリピンのセブである。多い時には、春夏秋冬と季節ごとに行った。私にとって、ダイビングのホームグラウンドである。
ダイビングの楽しさは大きい。
まず私達を縛りつけている重力からの解放がある。中性浮力と呼ばれるスキルで、水中で一定の深度に安定して浮かぶことができる。沈みもせず、浮きもせず、まるで宇宙空間にいるように重力から自由になる。ゆったりと呼吸をくりかえして水中散歩を楽しむことができる。未知の新しい体験である。
また水中は人間にとって異世界である。人間は地上に足をつけて、空気を呼吸することによって生きることができる。本来、水中では生きることができない。人間が入ることが禁じられた世界である。これは人間だけではない。地上にいる生物全てである。水面という一線で、陸上と水中の生物は厳然と区分されている。海の中で虎やライオンは咆哮していないし、キリンや象も歩いていない。逆に陸上で魚が空を泳いでいることはない。
禁じられた場所にエアタンクを背負い、フィンやBCジャケット、マスクをつけて侵入していく。海中で生きるものたちと交歓する。多種多様で色彩豊かな魚達と共に泳ぎ、たわむれて共生する。
別の世界を見たい。今見ているものと異なった世界や新しい世界を見たいというのは、人間の自然な欲求の発露であろう。
文学においても、書くことのエネルギーのなかのひとつにそうしたものがあると思う。言葉と文章を操って、自分の内部の意識下の世界や、通常の日常生活では体験したり、見ることのできないものを現出させたい。その思いが作品を生み出す原動力のひとつであろう。
さて、今号は三作品を掲載することができた。それぞれの作者が、それぞれの海にダイビングした成果が詰まっていると思う。 (尼)