私のハマたん

谷垣 京昇

 

 ハマたん、おまえとの別れがこんなにも早くこようとは、本当に思ってもみなかったよ。十五歳で逝ったおまえは猫の平均寿命まで生きたことになるようだが、それでも私は耐えがたいほどのショックと哀しみに打ちのめされたよ。

 共に暮らし始めてから今日まで、よき相棒だったハマたんがいなくなったことが、まだ気持ちのうえでは認められない私がいる。

 あれは三月なかばのまだ寒さが身にしむ日の夕方だった。ペットショップの店頭に売れ残り商品として半額の表示をつけられて無造作に置かれていた子猫を、娘が目にとめて連れて帰ってきたのが私とおまえの最初の出会いだったよな。

 生まれて半年を過ぎていたおまえは、子猫というより成猫に近かった。大柄で茶色の長毛に覆われていて、胸毛と靴を履いたみたいに足首だけが白毛だった。メインクーン種とかの洋猫らしく口元に湾曲を描く見事な髭を蓄えた容貌は、愛らしいというよりどこか気品すら漂わせていたなぁ。

 長期にわたり狭いサークルのなかで客に触れられていたらしくて、この子を買うと告げると、店員が慌ててシャンプーしてくれて見違えるほど綺麗になったわ。娘はそう言って笑ってたな。

 すでに結婚して家を出ていた娘は、物珍しげに部屋の中を探索しているおまえに目をやりながら、雄猫だから名前はプリンスハマオがいいわ。それに決めよ。いきなり子猫を連れてこられて面食らっている私に言い「あんたはここでお父さんと居るんよ」と今度はおまえに言い聞かせて帰っていったんだ。その日から、おまえと私の暮らしが始まったのだったな。

 初めて動物病院に連れていったおりに、おまえの名をプリンスハマオと告げて受付の女性に吹き出されてからは、ハマオだけにすることにしたよ。普段は親愛の情を込めて、ハマたんと呼んだけどね。

 そんなおまえも、やってきて半年にもなると次第にやんちゃぶりを発揮するようになった。

 なかでも頻繁に行うマーキング癖にはほとほと手をやいたものだ。通販でかなり高額な羽毛布団を買った日のこと、梱包を解いてベッドにかけて離れたわずかな隙に、おまえはきっちりとマーキングをやらかしていた。

 私にすれば清水の舞台から飛び降りる気持ちで買った布団を、一度も使うこともなく破棄するハメになってしまった。また机のうえに置いていた買ったばかりの新刊の雑誌にも、おまえの生々しいマーキングのあとがあり、おなじ雑誌を二冊買ったこともあったよな。まだこんなのは私とおまえの間の事柄で、時が過ぎれば笑い話で済む問題だった。

 あれは、おまえが二歳になったころだった。知人の女性が我が家を訪れた際のことだった。「いやぁ可愛い」とおまえを見て目を細める知人に、まんざらでもない私は油断をしてしまった。

 おまえがバッグに興味を持ったのを見逃した私が悪かったのだが、視線を戻した瞬間に高級そうな来客のバッグに付着した鮮やかな染みが目に飛び込んだ。

 たまたま女性が提げていたバッグが革製であったためなのか、おまえはそれに反応してマーキングをやらかしてしまったのだった。私はおまえを心とは裏腹に叱りつけながら一方で、バッグの持ち主に平身低頭ひたすら謝り続けるしかなかった。

 あのときだけは、さすがの私も参ったよ。その後もしばらくは彼女から何かにつけてあの一件を持ち出されるに及んで、肩をすぼめているしかなかったものな。

 思えばおまえの二歳から三歳のころは、一番のやんちゃ盛りだった。開け放った窓から初夏の風が心地良く吹き抜けていく、そんな日の昼下がりのことだった。居間で横になりまどろんでいた私は、いきなりの悲鳴に起こされた。何事かと声のしたダイニングをのぞくと、うたた寝している間にきたのか娘がいた。

「これみてよ! ハマオったらいきなり飛びかかってくるんよ」

 えらい剣幕で訴え、ワンピースを少したくしあげた。脚の膝上あたりから、一筋の鮮血が脛を伝って流れている。

「ハマオを怒りや! お父さんが甘やかすからこんな暴力猫になるのや」

「久しぶりに会ったから、喜んでじゃれついたんやろ」

 娘の怒りからおまえを庇って抱き上げた私を睨みつけて「ちゃんと爪を切っておきや!」と憤然と言い残して娘が帰っていったことがあったね。あのあと椅子に腰をおろした私は、手土産にさげてきたのだろうテーブルのうえに置かれた西瓜を、膝にのせたおまえの頭を撫でながらいつまでも眺めていたっけ。

 実際に、あの頃のおまえの気性の荒っぽさには、私も手を焼いたよ。あるときなど、なぜか機嫌の悪かったおまえを宥めようと、屈み込んで頭を撫でた瞬間にフットボールの球みたいに跳躍したおまえの体が顔面を一撃した。一瞬のことに尻もちをついた私は、何が起こったのかわからなかった。ただおまえの唸り声だけが余韻のように耳に残っていた。

 額に傷を受けたのか床に滴り落ちる血は、やがて目に入り、手探りで洗面台の前にたどり着くとタオルで顔を拭った。恐る恐る目を開けると顔も衣服も血だらけの私が鏡に映っているではないか。

 顔の真ん中ほどにおまえの爪の痕が縦にあり、裂けた皮膚から血が滴っていた。あとから聞くところによれば、猫の機嫌の悪いときに頭に手をやるという、一番やってはいけないことを私はやらかしていたらしいんだ。

 さらには、その後が大変だったよ。傷痕が目立ちすぎるところにあるために、半年ぐらいの間は女性用の肌色のファンデーションを塗ってごまかしていたんだぞ。それも、いまとなっては鏡をみるたび薄く残る傷痕を、おまえと暮らしたかけがえのない証しに思えて、そっと指先で触れてみたりするんだ。

 それから忘れられないのは、おまえが五歳の夏のことだよ。ある日外出して夜遅くなって帰宅した私は、おまえの姿がみえないのに慌てたことがあった。「ハマたん! ハマオ!」ほとんど絶叫に近い声をあげて家中探しても姿どころか鳴き声さえないのだ。外出時の戸締まりは完璧だったものの、もしや外に出て近所の家に保護されてはいないか。気が動転してしまった私は先方の迷惑も考えずに、回りの家々を尋ね歩いたが、おまえをみたという情報は得られなかった。外の世界を知らないおまえのことだから、どこかで迷い猫になっているのではないか、そんな悪い想像がつのって夜更けの通りを名前を呼びながら探し回ったけれど、おまえを見つけることができなかった。

 万策尽きた思いで公園のベンチにかけ、放心状態でいると一番電車の走る音が聞こえて、すでにあたりは明るみかけていたよ。それでも、おまえを探しあてるまで私は自宅へ帰る気は起こらなかった。

 やがて、早朝おこなわれているラジオ体操の人達が集まってきた。昨日の外出着のままでベンチにかけている私を、訝しげに眺めている。きっと顔も疲れた表情をしていたのだろうな。なかの一人が近づいてきて、声をかけてきた。顔見知りの女性だった。

 声をかけられると、昨日外出中におまえが居なくなったこと、夜通し町中を探し歩いたこと、などを一気に喋った。話し終わるのを待っていたように「押し入れもちゃんと探した? 昨夜花火があったから音に驚いて押し入れの奥に入り込んでいるかもよ」相手の女性はそう言い残して体操の輪のなかへ戻っていった。

 言われてみれば、少し開いていた押し入れのなかに向かって何度も名前を呼んだが、奥までは探していない。急いで自宅に戻った私は押し入れの襖を外して、段ボールの箱や衣装ケースの間に首を差し入れ、おまえの名を呼んだが反応がない。やっぱり押し入れにはいないのか。焦りが頂点に達してきたその時、ビニール紐で束ねた雑誌と、ここ二、三年使用していないガスヒーターの隙間にいるおまえを見つけたんだ。

 手にした懐中電灯の輪のなかで、おまえは私に向かって初めて小さく鳴き声をあげた。もともとおまえは滅多に鳴き声をあげることはなかったが、花火の弾ける音に怯えきったおまえは、身を隠そうとこんなところでじっと息を殺していたのか。

 怖かったやろ。ごめんな。抱き上げたおまえに私はぼろぼろと泣きながら詫びたものだった。あのことがあってからだよ。おまえが迷い込んでもすぐに出てこられるように、それまでガラクタの寄せ場になっていた押し入れを整理したのは。

 おまえが六歳になったとき、私たちは娘たち一家と暮らすことになった。先方には先年亡くなったチビをふくめて三頭の犬がいたが、大柄で悠然としたおまえの存在感は彼らを圧倒するものだった。

 娘は小型犬のチワワたちが襲われないかと、神経質なくらいに犬たちをおまえから遠ざけた。おまえを膝にのせているのをみて、猛獣使いと揶揄して私をからかったりした。かつて、おまえの爪で脚を傷つけられたことがトラウマになっているみたいだったな。

 それでも娘たちの目を盗み、おまえはしばしば二階の犬たちの居住区へ出かけていたな。最初のうちは犬たちに緊張がはしっていたみたいだが、どちらから喧嘩をしかけるわけでもなく、彼らの部屋をひとまわりして戻ってくるのが常だったね。

 でもおまえが二階の犬たちを訪問していることは、娘たちには一切言わなかったよ。おなじ家で暮らす犬と猫が互いに認め合っていたら、それでいいんだから。それからも新たに二頭の犬がきたが、状況は変わらなかったね。

 実際には猫タワーが置かれていて、昼間はよくそこに登り、隣接する神社の境内の人影や、窓近くの泰山木の古木にくる小鳥などを飽かずに眺めていたよな。

 そんなおまえも、半年ほど前から一日のほとんどを眠って過ごすようになった。私は単に、年老いたせいだとぐらいにしか思っていなかった。おまえが病に冒されているなど、思ってもいなかったよ。

 食事の量が減ってきても、肥えすぎていたおまえには減量になっていいか、ぐらいにしか思っていなかったんだ。しかし痩せかたが異常だと気づいて動物病院へ連れていき、獣医から肺に水が溜まっている、それに心臓もだいぶ悪くなっているが、とにかく肺の水を抜くのが先決だと告げられた。

 そんな、すぐには信じられなかったよ。というのも半年前には病院の検査で私の肺に水が溜まっているのがわかり、入院して水を抜いたばかりなのに、なぜおまえまでおなじ病気になるのか。

 即刻入院して肺の水を抜くことになったおまえを残して、満開の桜並木の道を一人自宅に戻ってきた私は、もっと早くにおまえの体調に気づかなかったことの後悔の念と、詫びる気持ちで歯ぎしりするほど悔やんだよ。

 私の胸水は増えも減りもせずに小康状態だというのに、おまえの肺に水の溜まる症状は改善せず、三日に一度は百五十CC~二百CCも溜まる胸水を抜きに病院通いをする生活になった。目にみえて衰弱していく様子に、何とか体力をつけてやらねば、その思いで流動食に近い食事やミルクを口へ入れ、飲み込むのを確認してまた口元へ運んだ。

 嫌がるおまえに心を鬼にして薬を飲ませていたけれど、それは私にも辛すぎる日々だった。

 そんなある日、歩くのさえおぼつかないおまえが、窓際に置かれた猫タワーに登っているのをみて驚いたよ。そんな体力がどこにあったのか、信じられない思いだったが夢中でスマホのカメラのシャッターを押していた。ハマたん、あれがおまえのタワーに登った最後の姿だったね。きっとあの時は残る体力をふりしぼり、私にタワーに登ってみせてくれたのだね。

 そんなおまえの容態が急変したのは、五月半ばの夕方だった。午前中に肺の水を抜きにいき小康状態を保っていたために、私は安堵してスポイトで一滴ずつミルクを飲ませていたんだ。すると突然に咳き込んだおまえは、嘔吐すると呼吸を荒くして苦しみだした。

 私はすぐさまかかりつけの動物病院に電話をかけると状況を告げ、バスタオルでくるんだおまえを抱きかかえて家を出た。いつもは五分ほどの病院までの道のりが、この時ばかりはやけに遠い。ハマたん死ぬなよ。死なんでくれ。歩きながら何度も呼びかけ、時には顔を近づけて息づかいを確かめながら祈る気持ちで歩いた。

 病院に着くと、受付でいまの診察が済み次第診ます、と言われ、焦る気持ちを抑えながら診察室のまえで立ったまま待った。少しでも苦しみを共有できたらと、私の胸にしがみつくおまえの爪先が皮膚を刺す痛みにじっと耐えていた。

 やがて診察室のドアが開き、プードルを抱いた婦人が出てくると、続けて顔を出した看護師に呼び入れられた。

 医師は厳しい顔つきで診察台に寝かせたおまえを触診し、瞳孔を調べたりした。顔をあげた医師は私にむかい、肺炎を起こしているから抗生剤の注射をさせて下さい、と言った。

 夜に容態が急変したときのことを思い、入院はできないものかと懇願した。この子をひとりにするよりも、家族で見守ってあげてください。答える医師の表情はさらに厳しさを増していた。

 再びおまえを抱いて病院からの戻り道、私は流れ落ちる涙をどうしようもなかった。家に着いて玄関に入ると同時に、抱いている手に生暖かい感触が伝わり、滴り落ちた滴が足元を濡らした。

 あらあらおしっこしてる! 戻ってきた気配に顔をみせた娘の声をあとに居間にむかいながら、私はおまえが力尽きたことを感じた。居間に入り、おまえが伏していたクッションにそっと寝かせると、何度も名前を呼びかけた。

 もう死んでるのと違う? 後を追ってきた娘の言葉が非情に胸に刺さった。ハマオごめんな。助けてやれんかってごめんな。すでに意識のないおまえに、私は呼びかけ何度も詫びた。

 その夜、遺体を拭いてやりながら、おまえとの別れがこんなにも早くきたことに気持ちのうえで納得できず、何度も抱きしめて頬ずりした。ハマたんのいなくなったこれからの人生など、考えられないよ!

 夜通しおまえの遺体を抱いて明かした朝、外が明るむと窓の外に咲く白い大輪の花が目にはいった。神社の境内にある泰山木の花だ。窓から手を伸ばせば届くような、間近の枝に開花した純白の花びらは、おまえの精霊が宿ったかに思えた。猫タワーの上からおまえがいつも眺めていた風景を、精霊となったいまは窓の外からこちらをみているのか。

 窓辺に歩み寄り戸を開けると手を差し伸べ、花びらにむかってそっと「ハマたん」と呼んでみた。爽やかな朝風に、花の咲く枝が微かに揺れた。私はあふれる涙を拭いもせずに、一夜にして開花した花をみつめていたよ。

 娘が知らせたのか、息子がやってきた。「ハマオは親父の病を背負って代わりに死んだんやなぁ」息子の言葉に、そうなのか? 違うよな。心中おまえの遺体にむかって問いかけながら、いいようのない哀しみに必死で耐えていたよ。

 昨夜のうちに連絡しておいた動物霊園から、十時ごろにおまえの遺体をむかえにやってきた。「最後のお別れを」係員から促された私は、花に埋もれて棺のなかに眠るおまえの脇に(いっぱいの想い出をありがとう。私のハマたん)としたためたメッセージをそっと差し入れながら、いま一度、おまえをこの腕に抱きしめたい衝動にかられるのを懸命にこらえていたんだ。

 霊園の車がみえなくなるまで見送り、部屋に戻ってくるとこれまでと違って部屋のなかが妙にガランとしていた。片隅に置かれた食器や水飲みの容器、いつもおまえがそこにいた円形のクッションの凹みには、特徴ある湾曲の白い髭が一本付着していた。

 そっとクッションに顔をうずめると、染みついたおまえの体臭が鼻腔の奥までひろがった。ハマたん、ごめんな。おまえを死なせてしもたんは私や。十五年もともに過ごしたおまえを、私は救ってやることができなかった。別れがとてつもなく哀しく辛いものであることを私に体験させて、おまえは逝ってしまった。

 できることなら、私もハマたんとともに天国へ旅立ちたい思いだった。抑えていた感情が溢れでて、あたりに人影がないのをみて私は幼児みたいに号泣したよ。

 ハマたんがいなくなって三日め、窓ぎわに立ち、泰山木の花を眺めていた私は花びらの一つが萎びかかっているのに気づいた。あのとき精霊となったおまえは、ここを離れていよいよ天国へ旅立っていったのだね。

 いまにして思えば、おまえはきっと自らの命がそう長くないことを悟っていたのだろうね。朝目覚めると布団のなかで、私にほっぺたをくっつけて眠るおまえがいた。年老いたせいか一日のほとんどを眠って過ごすようになっても、目覚めると甘えた鳴き声で私を呼んでいたね。

 ある昼下がり、うたた寝から目覚めると、前脚を私のお腹に預けて見つめているおまえがいた。目が合っても、おまえは私から目を逸らさずに見つめていたね。あのときは何を思い訴えようとしていたのかい。おまえが旅立っていく、十日ほどまえのことだったな。思えばともに過ごせる残り僅かな時間を、おまえは愛おしむように寄り添っていてくれたね。

 いっぱいの想い出を残してくれたハマたん。最高の相棒だったハマたん。おまえに出会って本当によかったよ。

 天国の手前に『虹の橋』と呼ばれるところがあるという。そこには生前、とくに誰かと仲良くしていた動物たちが集まっていて、後に残してきた誰かがやってくるのを待っているそうだ。そこであとからやってきた誰かと巡り会った動物たちは、ともに『虹の橋』を渡って天国へいくという。

 もう、その場所にたどり着いているのかなぁ。再会を心待ちにしているよ。そして、ともに『虹の橋』を渡って天国にいこうな。

 それからはずっとずっと、一緒だよ。なぁ私のハマたん!

 

 *絵本虹の橋 湯川れい子訳宙出版より引用

 

 

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