編集後記

  両親が六十年ほど前に購入した家をたたむ作業をして いる。ひとりで不用品の分別をしていていると、いろい いろなことが思いだされる。お風呂好きの母親が湯船で もらしていた「ああ、ほっこりするなあ」もその一つ。 一緒に入浴して聞いているのだから、就学まえの記憶で ある。以来、ほっこり、という言葉は湯気と石鹸のまざ った内風呂の温度とかおりを伴う母のつぶやきとして、 私の裡で生きていた。

 おとなになり、これが母のいう「ほっこり」感だと体 感するようになった。でも私はお湯にからだを沈めて今 でもふーぅと言うだけだ。母のほっこりにかわる私の言 葉はまだみつかっていない。

 そうするうちに「ほっこり」はコマーシャルで流れだ し、定着した。市民権をもった「公用語」になり果てて しまったのだ。本気で新しい言葉をさがすしかない。

 欠けてはいないけれど捨てるしかない食器を段ボール に詰めながら思う。「自己責任」は嫌な言葉だ。ナニナ ニをさせていただいております、とやたら受け身で話す のが当世風? 作家に「さん」をつけるってなにごと。

 

 今号には同人に加わられた三人の方の作品を掲載でき ました。新しい風が吹き込みました。                       (さく)

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