春とはいえ、まだ寒い三月に大阪市の都島区から東淀川区に引っ越した。
都島の家は、昭和三十年頃に建てられた築六十年の木造住宅である。私の生家ではないが、これまでの人生の大きな部分を過ごした場所であった。
戦後の雰囲気が残る時代に建てられた家で、まわりには瓦礫の山や雑草が生い茂っていた。現在のような整然とした住宅地ではなかった。小学校三年生の時に入居した私は、原っぱのような風景の中で友達とよく遊んだ。
それから社会人として歩み出すまで、十三年の時をそこで過ごしている。その後、東京のひとり住まいを経て、大阪に帰ってからはアパート、マンションに入った。
その間、父母や弟たちがこの家で生活していた。やがて弟たちも独立し、父母も亡くなった。しばらくの間、たぶん四、五年であろうか、住む人のいない空家となった。
人のいない家は荒廃していく。床は軋み、畳はボコボコになって建具はうまく開閉しなくなった。このままにしてはおけないだろうということで、賃貸マンション住まいだった私がもどることになった。それから現在まで十二年間、住み続けている。
私にとっては、あわせて二十五年間を過ごした家である。家の隅々までに生きてきたこれまでの思いが詰め込まれている。
築六十年の古さであるから、父母の代から何度も修繕を行っている。しかし木造住宅として耐用年数の限界にきていた。ここにきて外壁や各部屋はますます傷み、再び修繕する必要に迫られていた。また、これからもこうした事態に何度も直面することは明らかだ。
この家にどこまで住むのか。
あらためて室内を見まわした。壁や天井のクロス貼りの裏には、経年劣化して朽ちかけている柱や梁がある。隠されていて見えぬが容易に想像することができた。
人の一生のように、家の一生もあるのではなかろうか。木の香や藺草の匂いのただよう生まれたばかりの新築から、朽ちて崩壊していく家。家の一生の終わりの時に今、立ち会っている。
転居しよう。引っ越しをしようと決めた。
思えば、私の終わりの時も否応なく迫っているのを感じる。始まりがあったものは終わりがある。家も人も、形のあるものは必ず滅亡の時をむかえるのである。
あと何年、生きることができるのだろうか。人生の終盤にそろそろさしかかっているのは間違いない。もしもこれから平均寿命以上生きることができたら幸せであろう。しかし、私が私である、つまり私という体をなしているのは十年程度であるかもしれないし、もっと短いかもしれない。
引っ越しは終活でもある。
若い頃の引っ越しは、限りない未来にむかっての新しい出発であって、胸躍らせる期待と喜びに満ちた門出である。だが、残された時間が少ないだろう、この年での引っ越しは死への助走の意味を帯びている。
あの世まで持って行けるものはない。生きている間にたまったものは、生きて管理しているからこそ存在意義がある。私の死後に残された人々にとっては、その大部分は無価値のゴミである。だからこそ人は自分の身のまわりを整理して死に臨む必要がある。
この引っ越しが絶好の機会であると思った。まだ全てを捨て去ることはできないが、幕引きの準備として終活を行うことにした。これまでの生活でたまったものを整理し破棄しよう。
そう思って手をつけると、これが意外と大変だった。七十年間に蓄積されたものを選別することに多くの労力を費やした。手元にあるものには、それぞれにまつわる思い出がある。ひとつひとつを手に取ると、捨て去ることへのためらいが湧きあがった。しばし手を止めて茫然と眺める。
最大の難物は本であった。とにかくメッタヤタラと多い。単行本、文庫本、雑誌、それに加えて若い頃から参加した同人誌類が多量にあった。購入した時や読んだ記憶が蘇り、同人誌には小説を書いて掲載した時の思いがある。
種類別に分けて積み上げた本の山を見て、どうしようかと途方にくれた。しかし、手をこまねいていては終活はできない。
目をつぶってという言葉があるが、ほとんどその通りの心境で、たぶん二度と読まないであろう本は捨てることにした。本を読める残された時間を考えて。ただし私の小説が掲載された同人誌は捨てることができなかった。これは次の終活があれば、その時の対象として考えよう。
エイ、ヤアの思いで整理した。気合である。比較的新しい本は、古本屋に売ることにした。もしかしたら読んでくれる人がいるかもしれないし、本も喜ぶだろう。
近所のスーパーで空のミカン箱をもらい、本を詰めた。十六箱にぎっしり詰めた本を、ブックオフに連絡して引き取りに来てもらった。ブックオフは大型のコンテナ車で運んで行った。ブックオフの買値は一冊五円とか十円であった。買値の基準は本の内容ではなく、いかに新しく汚れがないかである。タダ同然と思える価格であった。覚悟はしていたが、やや落ち込む。
紙が変色したり、汚れが目立っていて、明らかに引き取らないだろう本も多量にあった。これらもミカン箱に詰め込んだ。十二箱分をリサイクル業者に連絡して、引取料をこちらから渡して持って行ってもらった。たぶん再生紙になるのだろう。
合計二十八箱分の本を処分すると、身のまわりはだいぶすっきりとした。今まで所持していた本の三分の二はなくなっている。ほっとする反面、たぶんこれから、どうしてあの本を捨てたのだろうかという後悔に一度や二度は襲われることになると思う。致し方ない。終活、終活と呪文のように唱える。
その他にも処分するものが多くあった。これからも使わないだろう家具類、着ることもないだろう衣類、こんなものがまだあったのだと驚かされる日用品など。数度にわたって、大阪市環境事業局に粗大ゴミとして引き渡した。
終活は引っ越しの前日までかかった。迷いためらいながらの選別なので二ヵ月半を費やすことになった。疲れる作業である。
引っ越し業者の選定は、テレビのCMでおなじみの三社から見積りを取った。各社とも申し合わせたように同程度の金額を提示してくる。かなり高いと思われる金額で、これがいわゆる定価なのだろう。それから値引き交渉に入ると面白いように値下げして、また各社とも大差ない金額になった。最終的に営業マンの信頼が置けそうなところと契約した。
いよいよ引っ越しである。
小雨の降る朝、引っ越し業者がコンテナ車で到着した。大型家具やこの日のために荷造りしたダンボール箱が手際よく搬出されていく。
全ての家具が運び出されて空洞となった家。照明器具も取り外されているため薄暗い部屋に、ひとり立った。この家にいられるのはこれが最後の時だ。そう思うと胸に様々な思いが去来する。
外に出て、ゆっくりと玄関の扉に鍵をかけた。
家と正面から向かいあう。降る雨は家と土地が別れを惜しんで泣いている涙のようである。涙雨だなあと思いながら、六十年間にわたって、私と家族をつつみ込んでくれた古い家に別れを告げた。