イサザ

塚田 源秀


「魚」へんに「少」と書いてという。私は掌に指で書いてみた。

「ね、おかしいわね」

 顔を真っ赤にした隣の女性はお尻を上げて、大皿に盛り付けてあるイサザを覗き込む。カウンターの上には数種類のおばんざいが並べてあって、そのひとつにイサザと豆の煮つけがある。湖北の名物料理のひとつだ。

 魚へんの読み方、由来などを話し合っているうちに、その流れで彼女はイサザについていろいろとしゃべる。近くの漁港の町で育った女性で、たまたま飲み屋で一緒になった。

「皿にこんなにたくさんのイサザが盛り付けてあって、魚へんに少ないって。漢字って、それぞれに意味があるでしょ。今じゃ、絶滅危惧種のニホンウナギやメダカに付けたいぐらいの漢字よ」

 イサザは琵琶湖固有のハゼの一種で、北部に棲む。昔はなかなか獲れず、珍しいところからこの名前が付いたらしい。普段は七十~百メートルの深いところに棲み、魚場は琵琶湖最北端のや竹生島周辺。成長しても七センチほどの大きさで透き通るような薄茶色で、あたまとくちが大きくユーモラスな表情をしている。湖北の冬の風物詩ともいわれ、佃煮やじゅんじゅん(すき焼き)という鍋として食される。

「でもね……、わたし、この魚が食べられなくって」

 彼女は口をすぼめ首を横に振る。

「どうしてです?」

「この魚のいわれを知っているから」

「いわれ?」

「ええ、わたしが小さいときに祖母や祖父からよく聞かされてきたから」

「へえ、教えてくれるかな」

 イサザのいわれというのは、次のような話であった。

 昔、サザという名の若い娘が湖北のというところにいて、あるきっかけで、竹生島にある由緒ある寺の僧侶と恋仲になった。相手が僧侶という立場であるため、公にはできず小舟を使っての逢引を重ねていた。出向くのはいつもサザのほうだった。夜、月明りと僧侶の行燈の導きのもと、サザは舟をこぐ。

 けれど彼には、彼女の思いが日ごとに鬱陶しく感じはじめてきた。そんな冬のある日、恋に疲れた僧侶は舟をこぐサザに対して行燈の灯りを消してしまう。月の明かりも無かったこともあり、彼女は方向を見失って遭難してしまうことに。深い湖の底に沈んでしまったのだ。浮かぶ舟の下からは遺体はあがらなかったが、その代わりに多くの魚が湖底から湧くようにあがってきた。透き通った赤みをしていたという。サザの身体を食したという噂が広まり、そのうち彼女の化身という話が生まれ、その名前が付いたそうだ。

 私は小皿にイサザと豆の煮付けをよそってもらい、一匹のイサザを箸にする。じっくり顔を見てみると、ユーモラスな表情から一変して、目玉が飛び出して、悲しみの感情をあらわにしているところが、どこかピカソの「泣く女」に似ていると思った。これにハンカチがあったら、週刊B誌にあった顔面相似形に出したいくらいだった。

「どこか悲哀に満ちた顔をしているね」

「でしょ。サザさんのことがあたまから離れなくって。あの透き通った赤みがどうも……」

「だったらエビやカニだって同じだよ。海の底の掃除屋さんなんていわれ、死んだ魚や糞を食べているんだから。たまに動物や人間のものも」

「すこし前に、竹生島の辺りで二人の男女が遭難し亡くなっているわね」

「もういいよ。今、食べようとしているんだから」

 私は、あたまからぱくっと口に入れた。

 

 十二月のはじめ、竹生島に行くことにした。無性に行きたくなったのだ。先日の飲み屋の話しがきっかけになったかどうか自分でも訝るばかりだが、自分の心の奥で妙に騒ぐものがあったからである。五十にして、一度も行っていない場所だった。あまりに近すぎていつでも行けるということもひとつ。でも、まったく関心が無かったわけではない。ドライブがてらに湖岸の道路に出てみれば、晴れているにもかかわらず、きまって靄がかかって見えなかった。遠くに住む友人を誘って島に行ってみようと思えば、天候不順で船が出なかった。今までも何度となく行きたいと思ったことがあるのだが、ことごとく裏切られてきた。竹生島との相性が悪いのか、まったく縁がないように思えた。それにしても半世紀も生きているのに、まだ一度も行かれないでいるとは罪ではないか。

 思い立ったが、吉日。明日、店は休みにして島へ行こう。定休日をつくらず、不定休にしている利点はここにある。この冬の時期、暇なので問題はないだろう。スタッフの美幸さんは「休んで何をするの。一人でどこへいくの」としつこく聞いてくる。私は嘘が顔にすぐでるせいか、ついつい本当のことをしゃべってしまう。「だったら、わたしも行きたい」とせがむ。うれしくもあり、すこし鬱陶しさも感じる。

 さっそく船会社に連絡した。事前の予約は要らず、出港時間の三十分までには受付けを済ませてくれればいいとのこと。ただ欠航がでるかもしれないので、当日の朝、電話かホームページで確認してほしいと付け加えた。

 翌日、店から確認の電話をしたところ、欠航とのこと。出港の判断は朝一の天候状況で決まるのだが、晴れてるじゃないかと私が電話でひとこというと、すみません、晴れ、雨は関係ないのです、風が問題なのです、と事務的な若い女性の声が返ってきた。陸上で微風でも、湖上では違います、命取りになりますからと。くそっと思った。私は、気持ちを抑えてわかりましたと受話器を置いた。

「欠航ですか。風で?」

 美幸さんは、奥の厨房でスコーンの生地を練りながら、こちらの話を聞いていた。出かけるまで、朝一番にこの作業だけはやっておきたいとのことだった。

「そう。風」

「仕方がないですね、こればかりは。で、今日、お店開けます?」

「もちろん、開ける」

「だったら、スコーンの生地、冷凍せずに、焼いちゃおうかな」

「そうだね。焼いてくれるかな」

「焼けたら、粗熱とって、すぐにぜんぶ冷凍ですよね」

「そう、わかってるね」

「ええ、なんでも」

 彼女はオーブンのスイッチをオンにした。

 

 出港日はどんよりとした雲が空を覆っていた。でも思ったほど寒くはない。風がないのだ。こんな日は珍しく雲が風さえも封じ込めているような感じだった。おととい、きのうと欠航が続いた。船のりばには、すでに五十人くらいの行列ができていた。平日にましてや冬の閑散時期だというのに乗船する人がこんなにいるとは驚きであった。観光ガイドブックを手にした若い女性グループもあった。きゃっきゃっとはしゃいでいる者もいる。目的はパワースポットだと思った。占いやこういった種類のことに若い女性は敏感だ。最近、特別な力が得られる場所として、パワースポットと称される神社や山岳に人気が集まっている。琵琶湖そして竹生島も大きな活力を享受できる有力なスポットのひとつに挙げられているそうだ。金、恋、病気……時代は変わっても人の悩みというのはつきないなあとつくづく思う。

 船は想像していたより近代的で大きかった。しかもデッキがあって二階建てである。私と美幸さんはタラップを渡り、一段下がって一階の座席に座った。湖面が目の位置のところにあって、湖に半分沈んでいるような浮いているような、浮き袋を付けている不思議な感覚だった。

 汽笛が鳴った。窓に顔を近づけると、ピシっとした制服姿の男性が埠頭で、こちらに向かって大きく手を振っている。彼の姿がどんどん小さくなっていく。米つぶにしか見えなくなるまで彼は埠頭に立って手を振り続けていた。

 港をどんどん離れていくので私はうれしくなった。こんな近くでちょっとした観光気分が味わえるなんて、はしゃぎたい気分だった。思い返せば、この商売をはじめて日帰りの旅行さえ行ったことはなかったのだ。

 コーヒー専門店を営んでもう十年になる。以前は、コーヒー豆を専門に取り扱う商社で働いていた。それがきっかけでもあるが、それにしても自分が店を持つことになるなどと予想だにしていなかった。ましてや十年もよく続けられていることがときおり不思議に思うこともある。

 十年一昔というが、この頃は、飲食の世界では三年いや一年一昔というくらいの変化とスピードが求められている時代だ。またコーヒー豆をめぐる市場は国内外を問わず取るか取られるかというすさまじい状況で、コーヒー豆の値が上がるばかりだ。周りをみても、店がオープンしたと思ったら、すぐ潰れて、また別のお店になっていくその様変わりの早さに驚かされてしまう。

 今後、うちの店だってどうなるかわからない。コーヒー一本だけではまず生き残れないのは間違いなかった。

 そんな折、こちらで働かせてくださいととつぜん店に見えたのが美幸さんだった。うちの店の近くに住む主婦で歳は四十二である。小さい頃からお菓子作りが好きで、うちに来るまでは家でケーキや焼き菓子を作って注文を受けていたそうだ。その日、彼女は、こちらの商品にラッピングさせて頂いてもよろしいですかと、かばんの中からリボンやシールの入った小箱と色鉛筆を取り出した。そして、持ち帰りの焼き菓子の一つひとつに色違いのリボンを結んでラッピングしてくれた。色鉛筆で商品名を書き、商品名の横に小さな果物のイラストも添えた。どれもかわいらしく温もりがあって、美味しそうに見えた。こうも変身するのか、私はすくなからず感動した。私には真似できないと思った。そして、すぐに採用した。

 しばらくすると、近くの道の駅やスーパーにケーキや焼き菓子を置かせてもらうことができた。外販のところで安定した売り上げがあって本当に助かった。彼女の貢献は大きかった。半年が経った今、私は仕事において彼女に全幅の信頼を置いている。彼女もその期待にこたえるべく一所懸命に働いてくれている。

 

「佐伯さんのうれしそうな顔、はじめて」

「そう? なんか小腹が空いちゃったな」

「まだ、十時過ぎたばっかりですよ」

「朝、コーヒーとパンは食べたんだけど。なんか、うきうきしちゃって」

「子どもみたいですね。佐伯さんの好きな五穀米のおにぎり持って来ましたから。あと卵焼きにウインナーも」

 目を閉じて、背もたれにゆっくりと身をゆだねる。ゴーというエンジン音と床や椅子から伝わるその振動が、どこか懐かしかった。ここって飛行機の中? と錯覚に陥ってしまいそうだった。目を開けると、窓から見える青の色、真ん中の通路の上に大きなモニター画面や席のレイアウトなど何から何まで飛行機の中そっくりだった。この浮いている感覚だってそうだ。船上の感覚は空も同じなのか。日々の電車通勤のように、飛行機の乗り降りを繰り返していた商社勤務の頃をふと思い出した。コーヒー豆の生産地である中南米、アフリカ、アジアの国々を飛び回っていて、一年の大半は外国暮らしだった。昔、姉がよく一人旅をしていた大学生の私に「リョウジって放浪癖があるようね」と言ったことがある。それを聞いた時に、妙にストンと胸に落ちるものがあった。そんな私にとってこの仕事は、まさに天職と思えた。年の半分の外国暮らしが習慣づくと、日本を離れたときの解放感と自由さがたまらなかった。しかし歳を重ねていくうえで、その裏返しである孤独感にじわりじわりと身も心も苛まれていった。仕事を終えると安ホテルのベッドにひとり寝そべりながら殺風景な天井と四方のうす汚い壁に囲まれる毎日だった。訪問者と言えば、ヤモリやゴキブリ、アリなどの招かざる虫ばかりである。息ができず胸が締め付けられることもしばしばあった。そして私は、アルコールに頼っていった。その頃、自由と孤独は表裏一体のものだと実感したのだ。機上でも、若い頃には感じなかった死の予感、墜落の確率がこの辺りで出てくるのではないかという恐怖を感じずにはいられなかった。

♪われは湖の子、さすらいの~♪

 琵琶湖周航のBGMに女性の船内アナウンスが入った。きまりのあいさつがあって琵琶湖の生い立ちなどが紹介された。琵琶湖は世界で三番目の古い湖で、四百万年まえに伊賀上野のあたりで誕生しました。湖は普通、数万年の寿命といわれていますが、その中で琵琶湖は奇跡的に存続している湖なのです……。

「ずっと形を変えて、三重のほうから北へここまで動いてきたんですね。ということは、いずれ、日本海へ出ちゃうということ?」

 静岡から嫁いできた美幸さんは、琵琶湖の生い立ちの話にいちいち驚いている。

「どうかな。毎年、三センチほど北へ動いている話も聞くけど。でもそれはどうかな」

「どうって。よく知らないの?」

「それよりも、富士山を作るため近江の土を掘り、その掘った跡地が琵琶湖になったという逸話のほうがよっぽど面白いけど」

 私たちはデッキに上がった。やはり陸地と違って湖面の空気は凛として冷たかった。

「風が吹いてきたわ」

 美幸さんは片手をあげて掌に風を感じている。

「やっぱり、陸と違うな」

 ゆらゆらと揺れる湖面にカモたちが羽を休めている。そこに飛来してきた一羽のハクチョウがバタバタと羽を上下させながら、カモの群れのなかに割り込んできた。何事もなかったように彼らは波にただ身をまかせていた。

 デッキには、三人組の若い女性たちもいて、お互いスマートフォンで写真を撮りあっていた。湖面をバックに二人の写真を撮ろうとしている一人が、たくさんの棒が岸の方までずっと突き刺さっているけど、あれって何かなと二人に言った。あっ、向こうにもあるわ。二人は振り向いて、さあ、何だろねと首をかしげる。

「あれはですね。鮎などの魚を獲る仕掛けなんですよ。魚の習性を利用して湖岸に寄ってきた魚があの刺さった竹の棒の障壁にぶつかってあの中に追い込むんですよ」

 隣にいた私は彼女たちに教えてあげた。

「えり? ですか。なんか、人の名前みたい」

「鎌倉時代からある漁法で、その時代からという言葉もあったみたいですね。今では、魚へんに入ると書くんですよ」

 という字を宙に書いて見せた。

 三人は掌に指で書いて、あっ、こんな字があったんだといって、すみません、ご丁寧にと頭をぺこっと下げた。

「ご親切ね。若い女性だったからでしょ」

 美幸さんはクスッと笑う。

「そんなことないよ。先日飲み屋に行って、この話になったものだから。ま、知ったかぶりだけど。でね、その続きがあって、鎌倉中期の『新撰和歌六帖』という和歌集があるんだけど、その中に藤原為家が『鮒のぼる はま江のえりの 浅からず ひとのしわざの 情けなのや』って詠ってるんだ」

「よくすらすらいえるわね。で、どういう意味なの?」

「当時、魚を捕獲する上で、えりの漁法が画期的だったんだろうね。それを為家が見て、人間のすることのむごい世の中だと詠ったんだ」

「長閑に魚を獲っている時代かなと思っていたけど、違っていたみたい。人の欲は、昔も今も変わらないようね」

 美幸さんは私をみつめ、

「ね、傍から見て私たち、どう映っているかしら。やはり夫婦かな」

「うーん、どうだろう」

「本当は一人で来たかったんじゃないかしら」

「そんなことないよ」

 私は水平線を見ながらいった。美幸さんが口にした夫婦という言葉に内心ドキッとした。

 美幸さんは元主人との間に大学生の息子ひとりをもつ。元というのは、以前にどうやら離婚しているらしく、それでいて同居しているようだ。元主人は出張が多いらしくたまにしか家に帰ってこないらしい。どうして? と私は一、二度度聞いたことがあったが、要領を得ない返答しかなかったので、深入りしないほうが無難だと思って、それ以降は詳しく聞いていない。彼女の言葉の端々から推測していくと、やはり主人の方の女性問題があったような。それでも同居しているというのは、生活費用は今までどおり元主人の給与でまかない、いざ何かあった場合はすぐさよならできるという現実的な計算があってのことか。彼女にいわせれば、こういうケースはあまりめずらしくないらしい。いずれにせよ家の全権を掌握しているのは彼女のほうらしい。

 この半年、ずっと二人でいるとお互い気心が知れる間柄となっていった。換言すれば、いいこともあるが、悪いことだってあるっていうことだ。最近では、彼女は、メニューにない新しい焼き菓子やケーキを積極的に提案する一方で、私の健康のためにとお昼に野菜を中心としたお弁当を持ってきてくれ、美味しい餃子が食べたいなどと呟くと、皮から餡まですべて手作りで店の厨房で作ってくれた。ずっと独り身だった私には、骨身にこたえた。私は楽になるどころか、彼女に甘えてしまうようになった。いけないと思いつつ公私の分別ができないようになってしまった。冷蔵庫や棚には彼女の家から持ってきたものがどんどん増えていって、店ぜんたいがなんとなく散らかっているようにみえた。

 もうひとつ気がかりだったのは、美幸さんがホールに立ちだした頃から、常連である近くのお婆ちゃんたちの姿がぱたっと見えなくなったということだ。

 歳でいえば七十から八十代くらいで、みんなが同じ仲間ではない。あんたの顔が見たくてなと、ひとりで来るときもあるし、茶飲み友達を誘って来るときもあった。私が独身ということもあったに違いない。ほとんどがひとり暮らしの彼女たちにとって、おそらく私を不肖の息子のようにみていたのではないか。はよう、ええ嫁さんみつけなあかんがな、というのが彼女たちの口癖だった。私も他愛もなく、誰かいいを紹介してえなと返す。そんななんでもないやりとりが、お婆ちゃんたちにとって和むひと時だったのだろう。お婆ちゃんだってみんな毎年ひとつ歳をとる。足腰も弱っていくし、暑い日、寒い日はどうしたって足は遠のく。そのうち、また来るだろうとのん気にかまえていた。ところが、いつになっても来なかった。ある日、通りがかりに近くのカフェの小窓を覗き込んだら、お婆ちゃんたちがカウンター越しの若いマスターらしき人と楽しげに話していた。やられたと思った。

 一見、美幸さんは地味でつつましやかに見える。化粧だってしない。接客だってそつがない。しかし女同士でしかわからない合う合わないの相性というのもあるのだろうか。お婆ちゃんたちには、どうやら美幸さんは不適格らしい。やはり私がホールに立たなければならなかったのだ。

「なに考えてるの? わたしのこと」

「どうして、そう思う?」

「図星かしら」

「水平線がわかんなくなってきたな」

 私は美幸さんの話とは無関係なことをいって、遠くを見た。

「わたし、この季節の空が大好き。今にでも雨や雪がふりそうな、グレーの一色のどんよりとした重たい空が。昔のお布団みたいに」

「ふとん?」

「そう。昔の布団って、今の化繊の布団と違って、綿からできていて、とにかく重たいのよ」

「あぁ、確かに。重かったよな。布団の中で身動きができなかった。小さい頃、あまりに重たくて、仕方なくおねしょしたことがあったな」

「そう。圧迫感があって。上から押しつぶされそうで誰も入り込む余地がなくて。でも、どこか落ち着いていた」

「青空は好きじゃないの?」

「昔は、好きだった。でも、今は嫌い。なんていうのかな、はしゃいでいるような感じがして。人も、そう。だから、スポーツって大嫌い。とくに観戦して騒いでいる人なんか」

 美幸は、こちらを向き、手摺にあった私の右手の上に手を重ねた。そして私のセーターの袖をめくり上げた。三十センチほどの火傷の痕が手の甲から腕にはしっている。

「痛くない?」

「もう、大丈夫」

 いつの日だったか、焼き上がったチーズケーキを取り出そうと美幸さんがオーブンから天板を強く引いたところ、その勢いでなみなみ入った湯せんしていた熱湯がこぼれる寸前だった。たまたま隣にいた私がとっさに彼女を突き飛ばしたところ、その私の腕に熱湯がかかってしまったのだ。彼女は動転して、火傷した私の腕をどうしたらいいか、おろおろするばかりで、はんぶん涙目だった。私は、急いで流水をかけた。火傷としては小さくはなかったが、でも病院には行かなかった。べつに痕が残ったとしても平気だった。それよりも動転した彼女の素振りがおかしく、すこし意地悪をしてやった。私は火傷した腕を片方の腕で支えてもうだめだと口にして、うずくまった。顔を上げると、そこには困り果てた少女のような顔があって、思わず抱きしめた。

 それをきっかけに、今ではもう体を重ねる関係になってしまった。バニラのような甘い香りがして、ツヤがあってひんやりとしていた。肌と肌がすべっていくところが好きだった。また彼女には所帯じみたところがまったくなかった。いつもどこかあっけらかんとしたところがあり、そこが不思議と心地よかった。彼女と過ごす時間も多くなった。周りでは私たち二人を夫婦と思っている人もいるようだ。法律上、彼女は独身であって、なにもやましいことはしていない。しかし、こういう関係が長続きしないことぐらいは、どんな頼りない男でも、五十にもなればそれくらいはわかる。

 美幸さんとの関係がはじまったころ、彼女が私に、死に水を取ってあげるからといったことがある。冗談半分と聞き流してはいたが、ケーキを作る彼女の真摯な姿勢を見ているとまんざら偽りのない気持ちなのかもしれないとも思えた。

 いずれにせよ、この辺りではっきりさせとかなくてはいけないだろうと思った。というのも、私に縁談がひとつ舞い込んできたのである。もちろん美幸さんには内緒だ。以前に私の店に勤めていたA女史が婚活の事業をはじめたらしく、私にも登録と婚活パーティの参加をすすめに来たのだ。私がためらっていると、登録はいいから、とりあえずパーティに参加して欲しいということで、仕方なく参加したのである。参加してわかったのだが、要は数合わせだったのだ。積極的な気持ちにはなれなかったが、ひとりだけ気になる女性がいた。名古屋在住で三十六歳、バツイチで子供はいない。名は恵利さんと言う。他の女性と比べると、垢抜けていた。

 お互いのプロフィールを手にしてテーブルを挟んで座った。簡単なあいさつを終えて、プロフィールに目を落とす。彼女は以前大手食品メーカーに勤めていて、もっぱらマーケティング企画部でお菓子や飲料の新商品の開発をしていたそうだ。私たちはお互いの仕事の話で盛り上がった。恵利さんは、コーヒーの商品も扱った経験もあって、今の私の仕事にも関心があるようだった。

「じゃあ、あのヒット商品も恵利さんが手掛けたの?」

「そう。あの時、本当にうれしかった。でもそう簡単にヒット商品って出るものではないですね。これは絶対に売れるという自信のある時は大体ダメです。それと、ドンと爆発的に売れる物って、意外と落ちるのも早いですね、長続きしません」

「人も同じかも知れません」

「えっ」

 二人は同時に笑い出した。

 ひと通りすべての異性とトークしなければならないので、ひとりと話す時間があらかじめきまっていた。全然時間が足りなかった。話しに熱を帯びてくると、周りの手持ち無沙汰気味の男女がこちらをちらちらと見た。タイムアウトの時間がせまっていて恵利さんは自ら、

「夫婦って計算どおりにはいかないものですね。仕事柄、人の行動ってすべてが数値化と統計学で測れると思っていたのかも。そのうちすれ違いが多くなってしまって。私も幼かったんです。子どもがいたら、どうなっていたか……」という。初対面の私に大事なことをいう。これもマーケティングから導きだされた会話術なのか、けれども私には素直に好感が持てた。その場はそれで終わって後日、A女史から連絡があって、恵利さんからお会いしたいといってるんですが、もちろん会われますよねとのこと。恵利さんは私からしてみれば、不釣合いなほどいい女である。会いたい気持ちはあるのだけど、半面会いたくもない。この気持ちってなんだろう、自分でも反芻するのだがよくわからなかった。この前の私は、嘘はついてはいないが演技という部分ではこの上なく高まっていたに違いない。そうなれば、どうしたって後はしぼむだけである。その高まりの感情がそうさせているのだろうか。あまり気がすすまないと伝えると、大丈夫ですって、佐伯さんなら、私が保証しますから、彼女まだ若いし、佐伯さん、子ども欲しくありませんか? あっちの方は、まだ大丈夫ですよねとA女史。私はまったく予想外の言葉に、「子ども」って声を上げてしまった。

 

「あっ、正面に見えてきた。あれね」

 美幸さんは手摺を握って身を乗り出した。

「そう」

 私にとって幻のごとく存在していた島が、今ようやく姿をはっきり見せようとしている。鏡のような湖面の中にたったひとつだけ浮かぶ島。でも、いざ手で捕まえようとするとするりと抜けてしまうような感覚があって、まるで蜃気楼のように浮かんでいた。

 竹生島の伝承を挙げればきりがない。多多美比古命(伊吹山の神)が、姪で浅井岳(現在の金糞岳)の神である浅井姫命と高さを競い、負けた多多美比古命が怒って浅井姫命の首を切り落とした。その首が琵琶湖に落ちて竹生島が生まれたという。また、明治のある国学者は竹生島を人類発祥の地として主張した。東へ顔を向けると、湖岸沿いに建つ高層マンションのはるか向こうに雪を頂く伊吹山が見えた。

「こぶがふたつあって、ひょっこりひょうたん島みたい」

 美幸さんが言った。

「観てた?」

「観てた。おそらく再放送だったと思うけど。わたしの母、NHKの番組しか観させてくれなかったから」

「あの話、死後の世界を描いていたって知ってた?」

「えっ、知らない。どういうこと?」

「後年、作者がそのことを明らかにしてね。第一話でひょうたん島へ行ったサンデー先生と子どもたちは、火山の噴火でみんな海に流されて死んでしまうんだ」

「だったら、物語が成り立たないじゃない。あの登場人物は何?」

「亡者の迷いの世界とも言えるね。ひょうたん島が漂流をはじめるところから物語が始まるんだ」

「子ども向けの冒険劇とばかり思っていたわ。たしかに子どもたちの親が出てこなかった。だとすると、この物語もまったく違った見方ができそうね」

「物語を死後の世界、ユートピアの世界として描いていたようだね。理由はいくつかあって、漂流する島では食糧を確保できないという上での辻褄合わせもあったみたいだけど」

「全然知らなかった」

 

 まもなく竹生島に到着する。古来、神が宿る島として、多くの信仰を集めてきたところだ。

 周囲二キロメートルの南の一部が切り開かれ、そこに定期船が発着する港、土産物店、寺社が集まっている。周りには緑の木々が覆っていた。終日無人の北の大半は、カワウの大規模のコロニーが形成されていて、その数は二万羽に達するようだ。しかし、ここからはその様子は窺い知れない。帰りの便があるので滞在時間は一時間くらいしかなかった。

 港に着くと、まず醤油と出汁の匂いに遭遇した。昔ながらの土産物と食堂を兼ねたお店が数軒、軒を連ねていてそこを通り抜けていく。先ほどの匂いはおでんとどて煮だったようだ。着飾らないところがほっとする。

 入島料を支払う受付では、船から降りた人たちでごった返していた。受付のおばさんたちが、「今日は宮司さんが島にいらっしゃいませんので、かわらけ投げをやりたい方は、ここでかわらけの皿をお求めください。鳥居をくぐれば、願い事が叶えられますよ」と大きな声を張り上げている。

「なんだか、御利益なさそうだ」

「やりましょうよ。せっかく来たんですから」

「そうだな」

 私たちは入島料を払い、かわらけを買った。

 急な百六十五段ある石段を登っていく。みんな一斉に登っていくので前が詰まっていく。賑やかな老婦人たちもしばらくすると無口になって、ゆっくりゆっくり転ばないよう上がっていく。もうすこし速く登れないものか、逆にペースがつかめず疲れてしまう。振り返れば後ろも詰まっていた。ここの一段一段はほかのところより高いのか、けっこうきつい。

 登りきると、大弁財天が祀られている宝厳寺の境内に入る。振り返ると、はるか向こうに伊吹山が見えた。今まで向こう岸からしかこの島を見ていないせいか、絵を裏返して見ているときの感覚に近かった。かの近江国小谷城の浅井長政もこの島に幽閉された時期があり、この風景を眺めていたのだろうと想像させた。

 本堂がある。江ノ島と宮島の弁財天よりも古いことから、大弁財天というそうだ。

 堂内に入ると、まず線香の香りがふわっと漂ってきた。正面では白衣の巡礼者たちが般若心経を唱えている。ここは、西国三十三所観音霊場、第三十番札所でもある。秘仏なので現在、本尊の姿はない。六十年に一回のご開帳、次は二〇三七年とある。私が乗っていた船には誰一人巡礼者らしき人たちを見なかった。だとしたら、この人たちはどこから来たのかとふと思った。

 本尊隣には「弁天様の幸せ願いだるま」と称して真っ赤な弁天様のダルマが数多く奉納されている。

「すごい数だね」

「まるでカニの子を散らしたような感じね」

「上手いこというね、美幸さんは」

 ダルマは卵くらいの大きさで、一つひとつ表情の違う弁天様が描かれている。願い事を書いた紙をダルマに入れて奉納するようだ。横では若い女性が真剣な表情で願い事を書いていた。

 美幸さんはダルマをひとつ手にして、ぜんぶ手書きなのね。かわいい。お土産にしたいぐらいだわといった。

「願い事やってみたら」

「そうね。してみようかな。佐伯さんはやらないの」

「うん、後で」

「こっそり、わたしのいないところでやるんじゃないの」

 左右には弁財天様が鎮座されている。私は堂内をぐるっと回って、それぞれの仏に手を合わす。お札やお守りのグッズも販売されていた。係りの人が、よう、お参りやすと頭を下げた。

「どちらの方からお越しで?」

「長浜です」

「それは、珍しい」

「珍しい? 地元の人は来ないんですか?」

「来られません。関係者だけ。大半は遠方の方ですね」

「そういうもんなんですね」

 私だけでなかったのだ。ここは、地元の人にとって近くて遠い島らしい。

 本堂を出て、三重塔、国宝の唐門がある観音堂へ。そして都久夫須麻神社へと続く、秀吉が朝鮮出兵したときに使われた「日本丸」の舟櫓から作られた舟廊下と呼ばれる廊下を渡っていく。お寺から神社へと舟廊を渡っていくのも不思議な感じだ。たった周囲二キロの小さな島なのに、どうしてこれだけの神仏が祀られているのだろう。私たちは、島の奥のほうへ入っていった。辺りは暗くなり、参拝者もほとんど見かけなかった。小径の脇には所どころ小さな祠や石堂があった。

「なんだか、空気が違ってきた」

 私は、祠の前で深呼吸した。

「場が乱されていないからよ。神聖な磁場が保たれているんだわ」

「本来のパワースポットって、こういう場所をいうんだろうな」

「そうね」

 さらに海岸沿いの通りを抜けると細い階段が続いていて、その先には琵琶湖に面した龍神拝所がある。ここで、かわらけ投げも兼ねているようだ。拝所に入ると、祭壇の前に一対の蛇が鎮座していた。狛犬ならぬ狛蛇の「あ・うん」の口の形をしていた。

「リアルだな」

「嫌い? 蛇」

 美幸さんは微笑む。

「もしかして」

「そう、わたし巳年」

「やっぱり」

「執念深いかも……」

 えっ、と私は首をすくめて、すばやく祭壇に向き直り、鰐口を鳴らして手を打った。

「何をお祈りした?」

「祭壇が多すぎて、何を祈ったかわからなくなってきたよ」

 左に進めば、かわらけ投げをする場所となっていて、鳥居をくぐれば願い事が叶うといわれている。眼下には岩場に建つ鳥居があり、その先には琵琶湖が広がっている。鳥居の下にはまるで散乱した人間の骨のごとく、一面に割れた白いかわらけが堆積していた。人間の欲望の果てのようにも見える。きっとその周りの湖の下には、イサザが棲んでいるのであろう。

 すでに二組の年配の男女がいて、どう投げていいのか勝手がわからず、傍にいた私に聞いてくる。距離にしてみれば十メートルくらいはあるだろうか、ここから鳥居の中をくぐらすのは難しそうだ。

「横から投げるよりも、上から投げたほうがいいと思います。あまり力を入れすぎないように気をつけて」

 二組ともやったが、かすりもしなかった。投げた男は苦笑いし、横にいた女は高笑いした。四枚のかわらけは鳥居の半分までも届かなかった。

 二枚のかわらけ皿に、一枚は自分の名前を書き、もう一枚は自分の願い事を書く。案内にはそう記されていた。美幸さんは二組の男女と賑やかに話していた。

 私は、二枚の皿にそれぞれ美幸さんと恵利さんの名を書き、私の名を書き添えた。投げる場所まで行き、いざ投げようとすると、美幸さんが「何を願ったの、見せて」と近寄ってきた。はっとして、私は勢いにまかせて二枚のかわらけを立て続けに投げてしまった。瞬間あたまが真っ白になり、どちらがどちらかわからなくなってしまった。一枚は鳥居に当たって割れ、もう一枚はちょうど鳥居の下に落ちてしまった。

 あっ、と思った。

「かろうじて一枚は願いが叶うようね。ね、何を願ったの?」

「商売繁盛だよ」

 拝所を出た。空を見上げると、青空が広がっていた。その中に、蛇が脱皮したような帯状のうろこ雲がひとつ浮かんでいた。―蛇が龍に通じ、龍は水神に通じ、蛇は湖に育ち、龍になって大空を飛び立つ。これらはすべて水を司る女神、弁財天にされていくのだろう。そういえば、霊感の強い私の知人が、新幹線で琵琶湖の横を通るたびに、琵琶湖の上空に「龍が見える」と言って、フェイスブックでその写真を載せていたのを思い出した。たしか蛇が脱皮した今のような雲ではなかったか。

 あとはもう、見るものがなかった。余裕をもって港に戻ると、船着場で船会社のスタッフが乗船人数を指差し確認をしている。出港時間までまだ時間がいくらかあるのに、汽笛が鳴って港を出た。しばらくすると何やら騒がしい音が島の方からしたので、そちらを見ると、島の輪郭線が黒くなっていた。カワウだ。そのうち何十何百というカワウが舞い上がった。さらに十数羽が船のあとをついてきた。

 しばし私たちは黙っていた。

 ふと過去などほとんど振り返らない自分ではあったが、どうしていままで独り身だったのだろうかと思った。ひとりで気楽に生きていこうと思っていたわけではない。姉が私を放浪癖があるといったが、私自身そうではないと思っている。むしろ放浪型よりも定着型の人間だと感じている。定着すべきところを求めてずっと放浪してきたのである。機会があれば結婚だってしていたかもしれない。でもその時その時もうすこし積極的であったならと後悔もしている。間というかタイミングの悪さなどもあったのだ。今回の竹生島だってそうだ。二度の欠航もあったが、どうしても行きたいという気持ちがあるからここに来れたのだ。

「この辺りだな、イサザの獲れるところ」

 私はデッキ近くの湖面を覗き込んだ。

「深い群青色しているわね。なんだか怖い」

「琵琶湖のなかで、いちばん深いところなんだ」

 この周辺で遭難した二人の男女のことを私は想った。台風の前に舟を出したという。男は医者か大学の教授だったか、事の詳細は忘れたが週刊誌でも取り上げたくらいだから、たんなる遭難ではなく男女間のもつれがあったくらいの予想はつく。たしか遺体も上がってこなかったのでは。

 イサザは二人を食したのだろうか。だとしたら、この男女もイサザの化身ということになる。サザさんという娘ももしかしたら当たらずといえども遠からず、実在したのではなかったか。湖面をずっと見ているといろんな場面を想起させ湖に吸い込まれそうになる。

「危ないわよ」

 美幸さんは私の腕を強くつかんで後ろに引いた。

 不意になんの脈略もないのだが、子どもを持つということが、どんなに恐ろしいことかと身震いした。

 

                 了

 

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