思い出

柳生 時実


 長女が結婚した。披露宴は先の予定だが、婚姻届を出すために新郎新婦だけではなく、互いの母親にも役所に来てほしいと言われた。私はてっきり事前に記入した用紙を本人たちが出すものと思っていたので「お母さんも行かんとあかんの?」と、とても驚いた。

「来てほしい。だって写真や動画を撮ってほしいもん」

「事務手続きまで、写真や動画を撮るの」

「婚姻届を出す様子を披露宴の時に映像で流すんやから。二人の生い立ちから出会い、結婚式までの人生をまとめた映像を作らなあかんねん」

「今時の結婚披露宴では、そんなもの見せられるの」

 私が結婚した時代は、仲人が新郎新婦の略歴をスピーチで話しただけのような気がするが、最近では手の込んだ映像作品を上映するらしい。長くて面白くないスピーチを聞かされるよりは、よっぽど良いのかもしれないと納得した。

 当日、役所で四人が集合して婚姻届に記入した。証人には新郎の母親と私がなった。記入する様子をカメラで写真や動画に撮っていく。四人が丁寧に書くので、思ったよりも時間がかかる。婚姻届が完成すると、二人はハッピーウエディングと英語で書かれた花柄模様のボードの前で記念写真におさまった。このボードは役所に常設されているもので、どうやら皆ここで写真を撮るようだった。きっとフェイスブックやインスタグラムなどのSNSに載せるのには丁度良い撮影ポイントなのだろう。

 デジタルカメラやスマートフォンが普及して、いつでもどこでも写真を撮るようになった。撮影する枚数も一昔前に比べると、何倍にもなっていると思う。その中から選んだお気に入りの写真を気軽にネットにアップして、皆で共有する。長女も早速アップして友人から祝福のメッセージをもらったようだ。長女はこれからの結婚生活の節目で、今日の写真を見返すのだろうか。

 私は写真には興味がなく、撮りっぱなしで整理をしていない。デジカメになってからは、印刷もせずSDカードに入れたままになっている。パソコンへ保存する際、ざっと見るだけだ。子どもが小さい頃、現像した写真をポケットアルバムに入れていたが、いま見返す事はほとんどない。いつかはちゃんと整理をしたいと思っているが、そのいつかが来るのかは怪しい。父は写真や八ミリカメラが好きで、撮ってはアルバムに貼り、八ミリは編集して誕生日などの記念日に上映してくれた。そのフイルムが沢山あるが、大人になってから見た事はない。私が撮った子どもたちの成長ビデオも、ここ数年は見ていない。編集をしていないので見るのが大変だし、再生する機器が時代と共に変わり、面倒になったからだ。いつかはこれらもブルーレイへ落そうと思うが、そのうちにもっと良い媒体に代わっている気がするので億劫である。

 子ども達が幼い頃、家族を撮った昔のビデオを見ていたら、急に五番目の子どもが泣き出した。他の子ども達は懐かしがって楽しんでいたので「何で泣いてるの?」と聞くと「僕が生まれてない時に、みんなが楽しそうにしているのは、なんだか悲しいねん」としゃくり上げた。

「だって、あんたは生まれてないから仕方ないでしょ」

 と慰めたが、本人は納得出来ないようだった。私たちが懐かしい過去の思い出に浸っている時に、当時生まれていない五番目の子が悲しんでいるのは何とも奇妙な気がしたが、その子の気持ちを愛おしく思った事を覚えている。今となってはこの出来事が、味わい深い思い出になっている。

 長女はこれからもたくさんの写真を撮っていくことだろう。写真をおさめるひと時だけではなく、写真を見返す時の出来事が、新たな思い出になり人生に彩りを添えてくれるようになるのだろうと思う。写真や映像は過去の自分だけではなく、現在の自分の人生を知らしめてくれる道しるべとなるものなのだと実感した。

 

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