透明人間たちの拍手喝采のなか、僕は鳴り物入りで、放浪デビューを果たした。何の脈絡も、どんな筋書きもありはしない。ただ、レールから外れたところにも新たな脇道が生まれる、そんな先駆的な魅力に憑りつかれていて、何か言おうとしたときには、すでに幕は上がっていたのである。不安。そんなものはコレっぽっちもなかった。もしもそんなものがあったとしたら、耳たぶの裏が痒かっただろうし、至極当然、放浪の旅になど出たりしなかったはずだ。僕が決意表明するときは、常に不条理と無責任とが交接し、快感に至ったときだ。本来の姿を、所謂、僕の全体を醸しだす陰影を、別人という名の針金が軋ませるからに他ならない。少し痛い。その痛みを、もし誰かが『自由』と言い換えてくれるならば、それはそれでありがたいこと、嬉しいこと。それは、愛の歌を、繰り返し歌い続けるにも等しい優しさである。空を見上げれば無で、無ならば無なほど、逆に虚しさは薄らいで、自然と溶け込んでゆく。旅立って初めて、ようやく一段落ついた。足元に蟻の巣があった。そこに群がる落ちこぼれの一団に、どうでもいい女が口づけの後に見せる他人行儀と外連味の無さとを、しとどに浴びせかけた後、僕は眠った。目元が涼しくて、目を瞑っているのが心地良い。「ありがとうさま、ありがたい」。起きればただ砂利道を歩く。テクテク。何もしなくていい無責任。降ろした荷の重さもすっかり忘れて、哄笑する。心が揺さぶられる。見知らぬ誰かさんが声を掛けてくれるけれども、やはり、いつものオブラート式なんだ。どこかで学生が弾くワルツ・フォー・デビィの模倣が流れている。「放浪中の身ですから、もしも善人に見えたとしても……、頼みます。いい加減に……うんぬん」。かように嘘っぱちが横行すると、いつしかそれが自然になるのだろうか。本来の僕になるというのだろうか。ただ、今は、脳と心、所謂ハートと性器がだらけていたとしても、目を瞑りながら、風の鼓動だけが聞こえていたら、それこそ自由だ。時間の砂を掬う術と独りで食う身軽さを覚えたならば、腹がくすぐったくなるだろう。大都会から離れた小都会に密生する、お洒落なエロティシズムも、ロマンティシズムも、また男ならではに逞しくなってくる。自滅的な美。「一緒に寝ようよ」と伝えれば、差し障りなく受け入れられるにしても、玩具の紙幣では納得してもらえそうにもない。透明人間からかっさらった紙幣なら、なおさらだ。僕はやはり、足早に小都市を抜け出さざるを得ない。僕の顔は、冬眠を間近に控えた蛇の笑顔に似ていたに違いない。放浪は際限あることが前提条件だ。金環食やハレーの周期よりも短い、四季をまだ遠いと感じているうちが絶頂期なのである。僕は時間をあまり食べない列車に乗る。時計を気にせず、降る目の前の雨と、人のいない海水浴場とを交互に見つめた。長い海岸線だった。「縛られるならば、別人という名の針金で……お願いだ」。やがて来る冬は、秘する人を生み出した。夜啼きの激しい裏庭のポチという猫の心境とも違う、秘することこそが僕の気持ちであり、またしかし僕なのである。トムソーヤの放浪は、もう一つの大都会へ足を伸ばさせた。野良犬の歩行よりも辛いけだるさのなか歩く。口には出せない女々しい思いが、風鈴のようにちりりと鳴る。放浪の清き涙の音である。そしてそれは黎明期を最も美しいと感じた昔日でもあった。細い目と好きな丸い顔立ち。鼻を赤らめ、いつも風邪を抱えているような声をした人だった。窓から見える砂山に、雨が縷々と降り、突き刺さる。なかなか寝つけなかった。あの人の夢を見ようとした。外は湖に墨が張り、蝶を捕まえた幼少期の蜘蛛網のような大気が垂れ込めている。車内の花道を、桃色の前掛け姿のお嬢さんが尻を振って過ぎていった。心が和んだ。しかし、お嬢さんの尻のまるみと角ばった座席の相対性が気に食わず、吐き気が襲ってきた。隧道に入ったのか、耳鳴りがやってきた。「そうだ、すなわちふるさとが無ければいけなかったのだ」。言いたいことは山ほど、いや空ほどあった。僕はありったけのコインを放り込み、使えるだけの電話線を使って、口から出てくる嫌らしく汚い愚痴を世間へ垂れ流してみた。受話器の向こうは、ほろ苦さの吹き溜まりだ。堕落。放浪中はさまざまな感性に邂逅する。尋常でいることが嫌らしく思える。こんこん。喘息に似た平穏な咳を少々。車内は静かすぎるので異様に響いた。これから訪れる町も、きっと音のない世界だろう。蛇が掘った冬眠穴。そこに夏から閉じこもる子供大人の僕。全てに意味があると皆が口を揃えれば、全てに意味が無いと独りよがりに塞ぎ込む。僕は誰にも何にも耳を貸さず、心を隠匿する。砂糖黍畑の葉に頬を切られるような痛みはあったけれども、決して苦々しい不安は無かった。「ふるさとはどこですか。どうか教えておくれ」。僕はダイヤルを回し続ける。「えらい泥濘に靴を持っていかれたものだなあ」。尋常から逃避しながらも善人という仮面に守らせ続ける日々。切ないけれども、善人は偽善とダンスする生き物だ。もう忘れろ。季節が支配していない、如何ともし難い墓穴のなかに、なぜだか季節を引き込む温風が吹き込んでくる。発汗してきた。冷や汗にしては異常な量だ。何げなくごろんと寝転ぶと、草いきれが風に運ばれて、泥々とした情念を、思いの外、容易に密閉してくれた。使命感などと、大それたおふれを撒き散らす前に、僕は一歩をなるべく遠くへ踏み出そうと考えた。道化師の陥穽に落ちるかのように、夜が幕を引いた。バスの窓には冷蔵の壁とスパイラルの光線が飛んでは消える。世情の奉仕紙に包まれていたけれども、何とか僕の足は、しっかりと大地を踏み締めることができた。息を吸うと肺は「独り独り」とこだました。孤独の喘息。他人が決めたふるさとは、意味を持たない。生きざまのベクトルが指す行方にある物が、真のふるさとなのだから。Bye Bye