いつの日か近いうちに、家に訪ねてくるキツネのことを小説に書ければと思いつつ、ずっと書かないできてしまった。毎年、きまって十二月中旬から五月初旬に家の裏庭にある縁の下を棲みかにしているものだから、いつでも書けるということといつもの怠け癖が相まってしまったのだ。彼らが来て二十年くらいは経つ。目的は、出産と子育てである。二十年というと、おそらく読者は私の住まいが山間や里山にあるかと想像されるかもしれないが、私の家は住宅街にある。裏には田畑を残すものの、両隣には家が並ぶ。
ふた昔も前になるわけだから、同じキツネがずっと来ているとは考えられず、何世代か交代しているに違いない。さて、家にやってくるキツネは、どんな奴なのだろう? キツネにはどんな種類がいて、家に来ているのはどこのキツネかいちど調べたのだが、日本に棲むのは一種類のみで、北海道に棲むのがキタキツネで、本州に棲むのがホンギツネだそうだ。なるほど、地域的に言い分けているだけなのだ。だから、家に来ているのはホンギツネということになる。生態に関しては一部わかっていないところもあるようだが、寿命はおよそ十年、餌の確保や自動車に轢かれるなどという外的要因もあって、日本に居るキツネの命は、せいぜい五年くらいしかないらしい。そして、その文献には出産と子育てにも触れていて、母親となるキツネの他にもう一匹協力者がいるとのことだった。協力者の多くが、母親がすでに産んだ娘だという。たしかに家に棲むキツネも、母親とは別にひとまわり小さなすっきりしたキツネもいたような。母親の子育てを手伝いながら、娘である彼女も勉強していくのであろう。その繰り返しが、ずっと二十年も続いた要因に違いない。
子育ての光景は、いつ見ても微笑ましい。足音を立てず、縁側のガラス戸からそっと見る。数匹の子どもが縁の下からでて、じゃれあっている。裏庭がまるで運動場みたいだ。少し高台の上から母親は警戒しながら周りを窺っている。少しでも私が音を立てると、母親がギャッと鳴き、子どもらは一斉に縁の下に走っていく。こんな光景なら、ずっと見ていたいものだ。
ところが今年、彼らの生命線が絶たれようとしているのだ。裏庭の隣接する、田畑に代わって大きな分譲住宅地の建設がはじまったのである。もう二十年も棲んでいると、キツネの動向はだいたいわかる。田畑の向こうには古寺があり、それも広い敷地に鬱蒼と被い繁った木々がある。そこには餌となる物があるらしく、家と古寺の間を行き来する姿を何度となく見た。いつの日だったか、まだ息がある子猫を口にして引きずっているところを見たこともあった。それを家の縁の下で食する光景を思い浮かべるとゾッとした。一枚上の板の上が居間の部屋になっていて、そこで朝晩の食事をするのである。また、エキノコックスという感染症や家で小型犬を飼っているので、もしやという心配もある。これでキツネとの付き合いもなくなるとしたら、それはそれで清々する半面、どこかぽっかり穴が開いた寂しさが襲ってくるのではないか。
七月の初旬、縁の下でゴトゴトという音がするので、キツネが来るにはずいぶん早いなあと思いつつ、その二、三日裏庭を気にして見ていた。現れたのは、やはり一匹のキツネだった。そのキツネは毛色もくすみ、きょくどに痩せていた。出産を控えた、母キツネという風貌ではなかった。年老いているのか、どこか病気にでもかかっているらしかった。足腰がふらついているようだったが、こちらを見る眼光だけはするどかった。裏庭で日中、身体をのの字にしてじっとしている。最後のお産にやってきたのか、それとも娘のお産の下見なのか、その目的は窺い知れない。キツネの視線の向こうは、一面ほり起こされた田畑である。あと一ヵ月ばかりすると、住宅地は整地され、その周りにはアスファルト舗装される。キツネは今、何を考えているのだろう。分譲地が完成し人が住みはじめた頃には、彼らはどうしているのだろう。やはり寂しいことだが、どこか違った所を棲みかとして欲しい。目の前の黒々とした新しいアスファルト道路の上で、彼らの姿など見たくもない。