この春飼い犬のチビが死んだ。十五年まえノラであった雌犬を娘が保護して連れ帰り、ワクチン接種のために獣医院へ連れていくと獣医師いわく、推定年齢は一歳ぐらいだが出産経験があるとのことだった。
そんな彼女にチビと名付けて以来、我が家の家族の一員として溶け込んできた。
それでも最初のうちはノラの血が騒ぐのか、チビは何度か脱走を繰りかえした。新聞配達員の通報などで早朝の公園に駆けつけると、ベンチの下でうずくまっていてきまり悪げに上目遣いでこちらを見上げている。「ほら散歩にいくぞ」と言いながら首輪にリードをつなぐとチビはのっそりと立ち上がり歩きだす。いつもの散歩コースを回って帰りつくころには、脱走したことなどケロリとわすれたように先に立って我が家の玄関に駆け込むのだった。
ノラ時代に人間から相当ひどい目にあったのか、常におどおどとしていてこちらがスキンシップをとろううとしても尻尾を振ることもなく、身を固くしていた。普段も部屋の片隅で身をまるくしていて、ともすれば我々に対して警戒するような視線をむけたりしていて、チビと我々の間に信頼関係を築くのには相当の時間がかかるものと思われた。
二年が経ちチビと我々人間の間にもそれなりの家族意識が芽生えつつあったある日、娘が知人から生後三ヶ月のチワワの雌を貰ってきたのだ。
元来二階建ての我が家の一階部分は私と猫のハマオの居住区であり、二階が娘たちとチビの居住区としてそれぞれが棲み分けていた。ところがエッちゃんと名付けられた子犬は物怖じすることもなく、家中を駆け回った。チビにしても寝ている鼻先でガサガサするわ背中に乗っかるわで、我々もチビも突如として住環境が一変した。
当時は私もまだ働いていて、平日の昼間は人間は誰もいなくてチビとハマオが留守番をしている状態だった。そんなところにいきなりこましゃくれたチワワの子供がきて、子育てを任されるはめになったチビの戸惑いも相当なものだったと思える。エッちゃんがやってきて二、三ヶ月たったころチビの体に幾つかの銭禿げが出現したのをみても、受けたストレスの大きさは想像に難くない。
しかしそこは出産経験もある彼女のこと、いたずら盛りのチワワの躾をしたのか外出から戻ってみれば足の踏み場もない散らかりようは次第になくなっていった。
さらに、その後もウエスティテリア二頭にチワワ一頭がやってきて大家族となった。テリアは、どちらも知人の飼い主のやむにやまれぬ事情から娘が引き取ってきたのだ。チワワは未熟児で生まれて処分されるところを、これまた哀れに思い引き取ってきた。おまけに始終てんかんの発作を起こしたために、無事に生きながらえるのか心もとなかったが、一年も経つころには近所の飼い犬に喧嘩をしかけるほどの気の強い暴れん坊ぶりを発揮するようになった。
そういえば猫のハマオにしてもペットショップで売れ残り、ブリーダーのところへ返され処分される寸前に娘が買い取ってきたのだから、我が家のペットはみんな訳ありの過去を背負ってやって来た連中ばかりなのだ。
ともあれ、我が家にきて五年も経った頃には、チビは群れのリーダーとして君臨するまでになっていた。食事の配分もチビが最初なら、散歩のときに先頭をいくのもチビという具合だ。また仲間同士の諍いでもチビの一声で鎮まるのだった。
そんなチビも十一歳をすぎたころになると、普段の動作や姿にふっと老いを感じるようになった。そんなある日のこと、一階の居間にいた私は二階の激しい物音に舌打ちをして天井を見上げた。仲間うちのじゃれ合いにしては唸り声や吠えかたがいつもと違うのを察した私は、腰をあげると急いで二階へ上がってみた。
そこで目にした光景に私は驚愕した。横倒しに倒れてもがくチビに四頭の犬たちが一斉に襲いかかっていたのだ。テリアのこのこが首筋に噛みつき、牡テリアの姫太郎が初めて耳にするもの凄い唸り声をあげて後ろ脚に噛みついているではないか。エッちゃんとなばなの二頭のチワワはそれらを囃すように吠え立てていた。
襲われているチビから、このこと姫太郎を私がどのようにして離したのか、その場を鎮めたのか覚えていない。ただ大声をあげて彼らを制していたのはたしかだ。結果として解放されたチビは脚を引きずりながら階下へおりていき、それ以来彼女が二階へあがることは二度となかった。
この予想もしなかった騒ぎは、群れのリーダー交代の瞬間でもあったのだ。この時を期して次代のリーダーは、このこがなり一番後からきた姫太郎はこのこの忠実な手先となっている。
チビがリーダーの座を奪われるとともに、二階の居住区からも追われて下へおりてきたことで、それまで一階を居住区としていた私とハマオは少なからず困惑した。
ことにハマオの場合は、自分の居場所が狭められるのではと危機感さえもったようだ。そしてこのハマオの危惧は、時を置かずして現実のものとなった。
チビがおりてきて最初にとった行動は、ダイニングの隅にあるハマオの食器に残るフードをあっというまに平らげることだった。食事どきでも猫は余程の空腹でないかぎり、犬のように一度に食べきってしまうことはない。もともと生活習慣が異なるのだ。さらにチビは小さすぎる水入れ容器をひっくり返すまで水を飲み干すと居間へと移動した。
居間では、昼間はソファーになる折りたたみ式ベッドでハマオが午睡をむさぼっていた。彼女は臆することなくベッドに飛びのると、驚いて飛び退くハマオを横目に、まるで新しい居場所を定めたように悠々と寝そべった。
その様子をみて、私は困ったことになったと思った。居間とダイニングはハマオのテリトリーなのだ。両者のあいだで居場所をめぐり、軋轢が起こるのは目にみえていた。これまで階下は猫のハマオ、二階は犬たちの居住区と棲み分けていて、なんら問題がなかった。それがチビが追放されて階下におりてくるなど、想定外もいいところだった。
その夜のこと、私はフローリングでふて寝をしているハマオを抱きあげると、ベッドでチビが気持ちよさげに眠っている横に腰をおろした。そしてハマオの頭部や背中を撫でてやっていると、チビが前足で私の背中をポンポンと軽く叩いた。自分も相手にしてくれ、との甘えなのは痛いほどわかっていたが私はあえて無視をした。
ここで甘い態度をみせれば新しい居場所を認定されたものと思い、チビは今の態度をとり続けるだろう。するといきなり立ち上がったチビは、ベッドから飛び降りると無言のまま部屋を出て行った。そんなチビをハマオを膝にのせたまま私は黙って見送った。
夜半にトイレに立ったとき、暗い廊下の隅で丸まって眠るチビをみて胸が痛んだ。居間へきて寝るようにと喉まで声が出かけたが、私は黙って部屋に戻ってきた。
チビは賢い犬だ。私の態度から階下が自分だけの居場所ではないと悟ったのだろう。そのこと以来ハマオのフードを食べたり、ベッドにあがって寝ることもしなくなった。私がチビのために居間の床に敷物を用意してやってからは、トイレに近い廊下の隅で丸まって眠ることもなくなった。
チビがリーダー犬として君臨していたときには、私は共に散歩にいくことはほとんどなかった。もっぱら犬たちの散歩や遊び相手を務めるのは、娘夫婦の役割であった。いまもそうだが、夫婦は休日だというと犬たちを車に乗せて出かけていて、私が犬たちと関わるのは夫婦が留守番のときに食事を与えるのを頼まれるぐらいであった。そんなだから犬たちも私をそういう目でみていて、彼らの序列でいうなら私は最下位に違いない。チビの散歩にしても、娘婿が都合の悪いときに頼まれていくくらいであった。
あった、という過去形なのは、現在は彼らの世話係を一手に引き受けているからだ。
定年後に改めて勤めた職場を七十歳を越えたのを区切りに辞め、いつも家にいることとなった。そのことが世話係を務めるようになった最大の原因でもあるが、とにかく以前とは比べものにならないほど、犬たちとコミュニケーションを深めているのだ。
それはともかく、私はチビが亡くなるまでの三年間、ともに町内外の未だ足を踏み入れたことのない路地裏の路までも踏破することになった。チビは雌犬ながら牡顔だったから、散歩の途中でも歳を尋ねられて老犬だと知ると「あら、もうお爺ちゃまなのね」などとよく間違われた。
チビも爺さんに間違えられては不本意だろうと、行きつけのドッグカフェで売っていた雌犬用の服を買って着せてみたりした。
そんなチビに異常がみられるようになったのは、昨年の年明け正月早々に寝床で粗相をしたことだ。チビ用の布団にさらに毛布を敷いてその上で眠るのだが、その日はなかなか起き出してこなかった。具合でも悪いのかとよく見ると寝床が濡れていて、寝小便のあとが鮮明にうかがえた。
その後も、部屋に戻ろうとして入り口と勘違いをして壁に当たったり、ダイニングの床で寝ているハマオを踏みつけてバトルを繰り広げたりと、普通と違う行動が目立ってきた。
かたやそんなチビに苛つくのか、ハマオも日に何度も諍いをするようになってきた。ハマオのパンチをくらって悲鳴をあげるチビには、リーダー犬としてのかつての精悍な面影はみじんもなかった。
やがて夜中に徘徊や遠吠えを始めたために、私は夜も落ち着いて寝られなくなった。
チビがこんなに早く老いるわけがない。そう思い続けていた私も、あまりの異常行動の多さにペット病院へ連れていかざるをえなかった。
医師はチビの様子を一目みて「脳の神経の病気ですな。それに目もほとんど見えていないようです」と言った。
その夜チビのことを娘夫婦に報告した私は、二人から激しく叱責された。
「チビのことは任せてあるのに、なぜもっと早く気がついてやらなかったんや」あげくは「三年も共に暮らしていて、全然信頼関係をつくってないやん」。
突き刺さる娘の言葉にも、私は何一つ言い訳や反論をしなかった。チビの老いが、そこまで忍び寄っていたことに私自身も衝撃をうけていた。
時を経ずしてチビの歯が抜け落ちた。それまでカリカリのフードを与えていたが缶詰のフードに変えた。そのうち最後まで立った状態で食べるのは無理になり、膝を折った状態でいるチビに特別に煮た雑炊を一口ずつ口元へ運んでやるのが習慣になった。
やがてチビは次第に食欲もなくなり一日中眠るようになった。水もほとんど飲まずにいて、このままではまずいと思った私は、夜になってペット病院へ連れていくことにした。
自転車の荷台に付けたカゴに乗せると、半年まえにはカゴが小さくて入りきらなかったチビの体がすっぽりと入るのをみて胸が詰まった。ペット病院では獣医師に「点滴だけでもお願いします」と頼み、帰り路はかつてチビと共に歩いた散歩コースを自転車を押して歩いて戻った。
その夜チビに食べさせようと、私は牛肉のステーキ肉を買ってきた。ペット病院からの帰り際に医師から「チビちゃんの好きなものをいっぱい食べさせてあげてください」と声をかけられていたからだ。ここのところ食欲がなく、上等の犬用缶詰さえ食べなくなったチビが果たして食べてくれるか不安だったが、それで少しでも元気になるならと思った。
キッチンに立った私は肉を焼き、歯の抜けたチビが食べられるように小さく切って食べさせると、点滴の効果かほとんど残さずに食べた。
娘が居間に顔を出して「あら、今日のチビはすごくいい顔してる」と驚きに似た声をあげた。
寝床で横向きになったチビは、微笑みを浮かべているかの穏やかな表情で我々を見つめている。あれだけ諍いあったハマオが、そばに寄り顔を近づけると目元に笑みさえ浮かべているよう見える。私はそんなチビに回復の兆しさえ感じていた。
安堵の気持ちからか、その夜私は少し眠った。夜半にトイレに起き、再び部屋へ戻ってきてチビの異変に気づいた。
チビの顔から微笑みの表情は消えていて、何度も名前を呼んでも半開きの目は瞬きもしなかった。私はチビを抱きかかえると枕元の水入れ容器を手に取り、水を飲ませてやろうとしたが、閉じた口元からこぼれ落ちた水は布団を濡らすだけだった。
夕べあんないい顔をしていたのに……、次第に硬直する体を抱きしめた私の涙が、とめどなくチビの顔を濡らした。二階の娘夫婦にチビの死を告げると、就寝中に起こされたにもかかわらず下りてきた娘は、遺骸に覆いかぶさるようにして泣き伏した。自分が死んでも、とてもこのような悲しみ方はしないだろうな。そんな思いにかられながら私はその様子を見つめていた。
夜の明けるのを待って娘婿がネットでペット霊園を調べ、比較的近くて値段も手頃なT霊園に連絡をとった。
翌朝チビ死亡の情報は瞬く間に近所に広がり、顔見知りの主婦など何人もの人がチビの亡骸に別れをしにやってきた。そんななか霊園の車が到着して、係員がてきぱきと納棺作業をしていく。
弔問客の花束で埋まったチビの棺をみながら、改めて生前のチビは近隣では結構顔が売れていたのだ。などと思ったりした。ハッチバックを開けたワゴン車が玄関前に来ると、係員と私が手伝って棺をのせた。
素早く係員が焼香の用意をして、促されるままに私を始めとして皆が焼香をした。係員から火葬に立ち会われますか、と尋ねられたが辞退した。そのあと、やはりいってやればよかったか、と思い心の隅っこで後悔をした。花の季節を目前にした、三月の末だった。
チビが逝って四ヶ月半ばが過ぎて、霊園から初盆施餓鬼供養の案内が届いた。娘からは猛暑を理由に、また熱中症になるからいかなくてもいいから、と言い渡されていた。というのも数日まえに連日の暑さに相当参っていた私は、熱中症になりかけて救急車の世話になっていた。そんなところから娘の指示通りにいかないでおこうと決めていた。
ところが盆が近づくにつれて、誰もいかないのは可哀想だ。チビが待っているだろうに。と思うようになり、盆のころには是非ともいってやらねば。というなかば決意のような思いになっていた。
施餓鬼供養の日がきた。私は家人には黙って何食わぬ顔をして家を出た。照りつける日差しは暑いというより皮膚が痛いくらいで、電車を降りて駅頭に立つと目まいを感じた。
車体に大きく霊園の名称が書かれたマイクロバスが停まっていて、私が乗り込むとすぐに発車をした。車内は満員で遅れて乗った私は、補助席に身を縮めて腰をおろした。走り出して数分もするとバスは山間の道に入った。勾配はかなりきついようで、エンジンの喘ぎで窓ガラスが振動している。まるでスイッチバックみたいに右に左に急カーブを曲がりながら、バスは高度をあげていった。
急に視界が開けて眼下に市街地を見下ろせるところにくると、バスは停まった。そこが霊園の入り口であった。バスはピストン運行をしているようで、我々を降ろすとすぐに折り返して山を下っていった。
霊園内の本堂では僧侶による読経がおこなわれていて、終わると私はチビの名を書かれた卒塔婆を渡されて墓地に向かった。共同墓地の石碑のまえは沢山の供物と参拝の人々でごった返していたが、二十分もすると潮が引くように人影が減っていった。
照りつける日差しを避けてほとんどの人が、早々に休憩所などに向かったようだ。私は石碑に線香を供えると手を合わせた。突然に鼻をつく線香の匂いと煙のなかに、こちらへ走ってくるチビの幻影をみた。
「チビ!」思わず叫んだものの幻影は消えて、灼けた石碑の照り返しで目の眩むような暑さのなかに私はいた。
これはまずい。ここで熱中症で倒れたらえらいことになる。私は日陰を求めて建物のなかに駆け込んだ。そこは休憩所で売店がありアイスを売っていた。熱した体を冷やすにはもってこいだと思った私は、アイスを買おうと売店へ入った。そういえば夏の暑い日はチビと散歩の途中にアイスを買い、公園の木陰で舐めたものだ。
私はアイスを二本買うと、ふたたび日差しが照りつける石碑のまえにとって返した。
「チビアイスや、一緒に舐めようや」一本を自分で舐めながら、片方の手で持ったアイスを石碑に向けて差し出した。ふと横をみると涙と鼻水でグチャグチャになった私の顔を、三歳くらいな女の子が不思議そうにのぞき込んでいる。さんらしき婦人が頭を軽くさげると、女の子の手をとって売店のある建物の方へ立ち去った。
「まもなくシャトルバスが出ます。このバスは最終便です。ご利用の方はバス乗り場へお急ぎください」園内の屋外スピーカーの声に、私は思わず腕時計に目をやった。いつのまにか夕方の五時近くになっているではないか。ここに八時間近くもいた事になる。
娘夫婦(あいつら)にどう言いつくろうかな。山を下るバスに揺られながら私は次なる難題に思案をするのだった。