小鳥

おのえ 朔


  去年の梅雨まえのことだ。正午に間のある平日の各駅停車の車内は、まばらに席があいていてゆったりと座れた。連結部に近い四人掛けのシートに掛けた私は、キャリーカートを膝の前に立て、壁に頭を凭せかけていた。

 カートには、検査入院をした夫の、昼と夕食のお菜がひと品ずつと、着替えやタオルが入っている。目を閉じてカートに詰めた物を思いだしながら、入れ忘れた物がないか考えていた。降車駅まで五駅あるが、居眠りをしては乗り越してしまう。そう思っているうちに、ふうっと一瞬意識が途切れた。

  はっと姿勢を正した私の耳に、ひそめてはいるが、早口で喋る女のひとの声が入ってきた。はしゃいでいるようだが、携帯電話の一方的で耳障りな声ではない。横に座る大柄な若い女性に遮られて姿はうかがえないが、声はその隣からだった。

  数年ぶりに車内でばったりと会った知り合いどうしが、思いがけない再会を喜びあっているような華やぎがある。声は高いめだが厚みがあって、若くないことはたしかだ。あたりを憚っているのかひそひそとしているが、さざ波のように続く。

 私はまた眠ってしまわないように顔を起こし、聞き取りにくいその会話に耳を傾けた。

 電車がホームに入り、私の隣の女性のスカートがすっと立ち上がった。白い生地にたっぷりとギャザーをとった細かい網目のレースを被せた流行のスタイルだ。それは、着てみたくても自分の年齢を鑑み断念するべし、とこの数年悔しい思いで見送るファッションの一つでもあった。

  電車を降りていく後ろ姿のスカートを見送る私の耳に、二人の話し声が近くなる。

「それがね、姉のとこのお舅さんが亡くなったのよ。うん、去年の暮れなんやけどね」

  お悔みの言葉と労う言葉が連なる。

「うーん、九十にはなってなかったけど」

 夫がそこまでたどり着くには二十年ちかくかかる。大往生だわね、と私は胸のうちで言ってみる。 「それがね」と、お舅さんを送った嫁の妹らしきひとはくすくす笑いを止めて言う。その家の小学生の子供が、入院したおじいさんの飼っていた小鳥の世話をしていたのだが、死なせてしまったのだと言う。その子があまりに泣くので、おじいさんの棺に入れることになった。もちろん内緒でこっそりと。

「封筒に入れて目立たんところに置くんやけど、本家の兄さんが、子供からのプレゼントや思うて、気ぃきかしておじいさんの顔のそばに置きなおしてくれるの。なんぼ可愛がってた小鳥やというても、死骸でしょ、ばれたら困るけど、いまさらひっこめるわけにもいかへん。困った姉がこそっと場所を変えて置いても、また元に戻してしまわはる。封筒の中身を知ってるのは、子供と姉とわたしだけ。そのうちなんやしらんだんだん笑えてきて、姉とふたりでこらえるのに必死やったんよ」

 私も小学生のころに十姉妹を飼っていた。母にねだって買ってもらったのだ。母親と一緒に店に来た私に、お爺さんの小鳥屋さんは飼い方の注意を教え、最後に、小鳥は半日食べないと死ぬのだよと、私の顔を覗き込んで釘をさすように言った。

 子供の私は驚いた。半日空腹なだけで死んでしまう生きものがいるなんて。小鳥を飼うことは怖いことらしい。けれど、柔らかくて暖かそうな小鳥に触れたい誘惑が勝って頷いたことを覚えている。

 小鳥が飼い主のおじいさんの死に合わせるようにこと切れたのは、餓死だろうと思った。おじいさんの世話で気忙しくなった家族の雰囲気に巻き込まれ、上ずってしまった子供の心が、小鳥の世話を忘れさせたのだろう。まだ生きられたのに、かわいそうにと私は思った。

 屈託のないおしゃべりは続いていた。

「それがね、骨格標本みたいになって出てきたん。鳥のかたちのまんまやったの」

 私は前の年に九十三歳で亡くなった夫の生母の棺に、それぞれがお別れの言葉を書いた折り紙を鶴に折って入れたことを思い出した。葬儀社の計らいだったのだが、幾色もの折り鶴は、その形のまま、白い灰になっていた。お骨を拾いながら、折っていたときの指の感触がよみがえってきて、妙なきもちがした。

 電車が停車した。私が降りる駅だった。病室にパソコンを持ち込み仕事を続けている旺盛な食欲の夫に、朝食用のフランスパンとマーマレードを買わねばならない。

 夫はそれから三か月して死んだ。私は、養母が貧しい家計を遣り繰りして買ってくれたという着古した臙脂色のアクリルのベストを、棺の夫の胸に広げた。

 それは、ぼろぼろに崩れて形を成さない骨に紛れて、消えてしまっていた。

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