再びの問いかけ

いよとめい


 かつて、せるの20号記念号に、「物語の究極」というエッセイを書かせていただいたことがある。7世紀中ごろ、ヨーロッパが蛮勇の夢から覚めて、大あくびを一つ、二つしていたころ、アブウ・バースか、ムバル・カケフか、もはや定かではないサラセンの隊長が、アレキサンドリアの図書館の膨大な書物を前に、はて、これらをどうしたものかと思案し、メディナのカリフ、アミル・アル・ムミニーンに問うた話だ。

「それらの書物がコーランに合わぬなら有害であり、コーランに合うなら無用である。故に焼くべし」……それがカリフの答えだった。かつてたった一冊の書物しか必要とせず、たった一冊の書物しか知らない文明が確かにあった。究極の書物、究極の物語を知った文明、時代、人々が果たして幸福でありうるのか、私は判断できない……あのとき、私はそう書いた。

「すべての物語は聖書かホメロスだ」と言われたこともある。確かにジェームズ・ボンドは、オデュセウスの焼き直しかも知れない。我々は我々の知っている文学地平を超えてその先を知ることができない。百冊の書物を知るものはそれが文学の総体であり、この時代が知る文学の総体を超えて、その彼方を知ることはできないのだから、判断のしようがないと……

 けれど今、この国で、いやおそらく世界中のあちこちで、究極化が進もうとしている。国立大文系学部の廃止にまで踏み込んだ文科省の通達。所与の構造の中で、恣意的にしか存在しえないラングを前に、それでもその構造をはみ出ようと、あがき、もだえ、紡ぎだされてきた「ことば」たち。その衝動があったからこそ、せるは何と100号までも続いてきたのだろう。今は無き、労働会館だったか青少年会館だったかの使用許可書の団体名に、とっさに書き込んだ「せる」。それは己の中に異化のものを育み、紡ぎだそうとする細胞、貝殻……そんな風に勝手に想起したものだったが……

 時代はもはやそれを許そうとしないのか?

 サラセン人たちは確かに究極の書物を持ち、図書館を焼いた。だがそれでも物語はあったのである。一つの「ことば」の解釈に血を流して苦悶もした。しかしもはや「ブンガク」や「コトバ」など必要ない。シニフィアンとシニフィエの確固とした関係性のみを許すシーニュの世界。言葉は記号でしかなくなろうとしている。そこにはソシュールの言う連辞はあっても、連合はない。バルトも墓の中で目を丸くする。

 0と1がすべてを構造化しようとする時代は不幸なのか、幸福なのか……再び問われなければならない。言葉は記号を超えてはならない。そこではもはやマロニエの樹を見て嘔吐することもないだろう。料理の三角形に隠された構造に打ち震えることもないだろう。構造をはみ出ようとするからこそ、「反省意識」が生まれ、その意識と意識の連鎖の中に「ことば」は己だけに孤立し、永遠となる命を得るというのに……弁証法は完全に死滅する。

 ただ名付け親だからという特権だけで、末席に名を残していただいている。恐縮の極みであり、それだけでありがたい。誌面を勝手な己の「コトバ」で汚すこともない……そう思ってきたのだが、再びの問いかけをどうぞお許しいただきたい。「せる」が時代を乗り超えていきますように……

 ホーガン「星を継ぐもの」を合評会にというとんでもない提案に真っ先に賛成してくれたSさんに……


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