せるの航路

尼子 一昭


 1 誕生からの歩み

「せる」が一〇〇号をむかえる。

 この機会に、誕生からたずさわってきたひとりとして、これまでの歩みをふりかえってみたいと思う。

 同人誌「せる」として発足するまでには、まず原初せるとでもいうべき文学の研究会があった。大阪文学学校の在籍者および修了者で構成されたグループである。一九七六年の秋頃に結成されて、定期的に集まり読書会などを行って親睦を深めていった。せるに発展するまでの準備期間であり揺籃期であった。

 しばしの活動のなかで、何か形になるものを作ろうということで、同人誌を発刊しようという気運がしだいに盛りあがってきた。こうしたいきさつは、どの同人誌もだいたい似たようなものであろう。

 グループ結成から二年後である一九七八年九月に、小説の同人誌としての「せる」の創刊号が発刊された。今から三七年前である。発刊時の会員メンバーは、当時の号を見ると十二人であり、現在まで続いているのは四人である。

 その後、多くの人達の入会があり、その一方で退会もあった。どれだけの人がかかわったか、正確に集計することはできないが、かなりの数になると思う。

 また、これまでの各号の巻末の名簿を見ると、その時点の会員数は、だいたい二〇人前後である。二〇人を大きく超えて三〇人、四〇人になるということはなかった。これは、こうした形態の同人誌として、まとまって活動しやすい適正人数を示唆しているのかもしれない。

 誕生以来、現在までの活動の中心は、当然のごとく同人誌の発刊であって、年間三回を原則としている。

 その他に、月一回の定例会は途絶えることなく開催してきた。定例会では会員が他の雑誌等に発表した作品の合評、プレ会員の作品の合評、話題になった本の読書会を行った。

 近年はあまりないが、他のジャンルの研究ということで、演劇や白塗りの舞踏の鑑賞を行い、論じあうこともあった。

 同人誌に小説を書くことと合評、定例会への参加が、せるの活動内容である。

 

 2 名称について

 グループせる、同人誌「せる」という名称であるが、名付け親は会員のひとりである、いよとめい氏である。同氏は現在も名誉会員としてせるに名を連ねている。

 名称の由来は、原初の勉強会の時に同氏がグループ名をカタカナの「セル」としたのが始まりである。意味はフランス語で貝殻のことで、英語ではシェルということであった。

 当時の会員からは色々な意見があったようだが、何度も使っているうちに、体に服がなじんでくるように、しだいに親しみを覚えて定着していった。

 同人誌発刊に際して、カタカナからひらがなの「せる」に改めて、以来、現在に至っている。

 せるの意味については創刊号の編集後記で清水康雄氏が記述しているので、それも引用しておきたい。

《「せる」……フランス語の「殻つき牡蠣」……貝類は古代より再生のシンボルとみなされてきたという……閉じられた世界というイメージと美しいものを育むというイメージ(後略)》

 せるがここまで続いてきたのは、この魅力的で色褪せないネーミングの力によるところも大きいと思っている。

 

 3 せるのポリシー

 せるは主宰者を置かない。

 同人誌のなかには主宰者とそれをとりかこむ者という形態をもっている集団がある。つまり、踊りやお花のお稽古事のような、お師匠さんがいて、その作品や文学観をひたすらあがめて、模倣するという構図である。こうしたグループには絶対になりたくないというのが、せる発足時の共通の思いであり、ポリシーであった。全ての会員が平等に参加する集団、それがグループせるである。

 もちろん同人誌の顔として代表者は置くが、それは主宰者ではなくて、対外的に同人を代表して事務的部分を担う者である。これまでも「せる」に掲載された作品が外部の雑誌に転載される、あるいは文学賞を受賞する、賞の候補になるということがあった。その時に対外的な連絡の任にあたることになる

 

 4 組織について

 代表者とは別に、グループをまとめ同人誌の発刊や定例会の運営などの内部の実務を担う者が必要であった。

 発足から十五年近く、その任にあたっていたのが森山美紗氏であった。せるの初期から中期までの安定には、同氏の力によるところが大であった。同氏のおかげで、今日のせるがあるといっても過言ではないと思う。

 同氏がその任を退いてから、せるは組織を分化させた。内部の実務事項を整理して、それぞれを分担することになった。

 事務局として三系統にまとめた。

 組織の運営を担当する者、会員相互の連絡と同人誌発行を担当する者、会計を担当する者である。このシステムによって、せるはグループおよび同人誌として安定して今日まで続くことができた。

 同人誌とは書き手ばかりではなく、組織の実務を担う者、いわば裏方的な役割をこなす者も必要不可欠である。

 

 5 せるの夢

 一〇〇号までの各号を目の前に並べると、それなりの感慨もわきあがる。

 文学という大海原を航行するグループせるという船は、会員である何人もの船員に導かれ、進んできたのである。

 しかし、船員が老齢化していくのは避けられない事実である。創刊から初期にかけて加入して、その時は三〇歳前後の若さであった者には、今や老いが忍びよっている。やがてひとり消え、ふたり消え、老化したグループは消滅するかもしれない危機をむかえることが、当然のごとく予想される。まるでボロボロになった幽霊船のように海原をただよい、いつか難破することになる。

「せる」を難破船にしてはならないと思う、

 船にはいつの時にも新しい船員が必要である。若く新しい力によって、せるにエネルギーと生命力を与え続けていかなければならない。

 現在の会員構成を単純に年齢によって区分していくならば、初期のせるにかかわった第一世代はいまや六〇歳代から七〇歳代をむかえて、その長かった航路を終え、港で下船する時が確実に近づいてきている。

 否応なくバトンは四〇歳代から五〇歳代の第二世代の手にわたされる。その世代が船の進路を決め、航海の先頭に立つ時がまもなく到来する。

 更に二〇歳代から三〇歳代はせるの未来である。せるをリフレッシュして、未来の航海を担う者である。

 一般の企業においてはゴーイングコンサーンという理念がある。ゴーイングコンサーンとは、経営者や社員が交代しても企業自体は永続していくということである。つまり輪が無限に連なっていくように。

 せるも永続が夢であると思う。

 第一世代から第二世代、第三世代、さらにその次の第四世代、第五世代へと連綿として続いていく。

 せるというのは文学運動体であると思う。永遠に続く文学運動体として、せるというものがある。一〇〇年も二〇〇年も続くであろう、せるという運動体と、それが発刊する同人誌「せる」でありたいというのが、私にとってのせるの夢である。

 

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